七味唐辛子(山椒煎餅)

   元祖 激辛煎餅(激辛せんべい)誕生秘話


小学4年生の頃から、私は受験戦争に参戦していて、塾通いをしていたのだが、目ざましい成果もないまま、もんもんとした少年期を過ごしていた。
5年生になっていたある日、塾の先生が声を掛けてくれた。
「鈴木君の家は煎餅屋だったよな。こんなの見た事ある。」
先生は得意そうに私に1枚の煎餅を手渡したのだった。
その煎餅は、表面に少量七味唐辛子をまぶした物で、食べてみると小学生であった私には、目の玉が飛び出る程の辛さであった。
面白がっている先生に、一あわ吹かせてやろと平然と食べて見せたが、内心は”お水 お水〜”状態であった。
先生はうれしそうに「辛くなかった?」とか聞いてくる。
「それ程でもないよ」と、強がっていたのを思い出す。
実際には目が赤くうるんでいたであろうから、先生も笑いをこらえることに必死であった。
ここから先が、私のすごい点なのだが、(自慢してどうする)生まれついての煎餅屋である私は、瞬時にこれよりはるかに辛い煎餅を作る事は、それ程むずかしい事ではないと考えていた。
「先生、おとうさんに1枚あげたいんだけど、もう1枚下さい。」
気が付くとこう口にしていたのである。
しっかりサンプリングした私は、一目散に家へ帰ると、父親にこの煎餅を見せ、「これより辛い煎餅を作ろう」と言った。
父も面白半分で、煎餅の表面に生地が見えないほど、タップリと七味をまぶした煎餅を作ったのである。
その内の1枚を、塾通いのカバンにしのばせた事は言うまでもない。
結論を先に言おう。
私の復讐は成功した。
数日後の教室は、飛びかう悲鳴で大騒ぎであったのである。
この激辛煎餅は、その後思わぬ展開をする。
元来辛党であった母が商品化に踏み切り、否定的であった父をしり目に、思わぬ売上をあげた。
こうなって来ると、これは行けるぞと言う事で、さらなる激辛、一味唐辛子のかたまりの様な煎餅を父が作った1971年の事である。
激辛・特辛子と名付けて、その後激辛の2文字は、現代用語の基礎知識、新語部門の銀賞に取り上げられる事となる。
そう「激辛」の2文字は、弊社が発祥の地なのである。
さらに80年代の激辛ブームの火付け役となって、世間の注目をあびた。
塾通いが思わぬ副産物を生み出し、今日の淡平の基礎が出来た。
そうした意味では、本当に塾に通ってよかったと思っている。勉強の方は、相変わらずさっぱりであったが、店の売上は右肩上がりで少し誇らしかったからだ。 



1986 新語部門・銀賞
激辛(当時のニュース番組より)
受賞者:鈴木 昭(神田淡平店主)


グルメ時代の幕開けを特徴づける新語。韓国、中南米、東南アジアなどのエスニック料理はもちろん、カレー業界、
ラーメン業界をも巻き込んだ「激辛」時代が始まった。辛口せんべいという意表をついた商品を発売した鈴木は、一躍激辛のスターとなった。


       - 永 六輔さんからの手紙 -