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毎日新聞社の情報デジタルメディア局にて淡平が紹介されました。
以下はその内容です、HP内他の情報も満載ですので是非御覧ください。


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激辛:元祖は老舗の「せんべい」 誕生のいきさつを聞く

   

「淡平」の「激辛・特辛子」は割っても、中まで真っ赤

今でこそ日常語となった「激辛」。ラーメンやスナック菓子などに「激辛」を冠した商品が次々に登場し、ブームはとぎれることがない。
しかし意外にも言葉として認知された歴史は浅く、広辞苑に登場したのも今年発刊の第6刷から。その発祥は東京の下町・葛飾のせんべい屋「淡平」だということはあまり知られていない。5代目当主の鈴木敬さん(48)に誕生のいきさつを聞いた。
【江刺弘子】

「淡平」は、500年以上前からせんべい作りをはじめ、1884(明治17)年にせんべい屋として創業した老舗だ。「フーテンの寅さん」のだんご屋のモデルとなった柴又の「高木屋」とは遠縁にあたるという。1970年にJR神田駅前に店を構え、
約40年、下町の盛衰も眺めてきた。

 1971年、一味唐辛子を練りこんだせんべいが産声をあげた。当時小学生だった鈴木さんが塾の先生から辛いせんべいをもらい、先代当主で父の昭さんに「これより辛いものを作って先生に食べさせて」と言ったことが始まりだった。
「おやじはあっという間に激辛を作ってくれました」。

 そこに辛いもの好きの母靖子さんの「お店にも出しましょう」で商品化が決まったという。名付けて「激辛・特辛子」。「商品名はおやじが考えたんです。とにかく辛いということで激の字をつけた。当時はそれだけのことだったんですがねえ。今思えば、第一の功労者はおふくろかもしれない」と鈴木さんは振り返る。

 「激辛・特辛子」は、生地に一味唐辛子をたっぷり練り込んでおり、表面だけでなく割っても真っ赤だ。「季節によって異なりますが、一味唐辛子の量は、煎餅の50〜70%です。米の生地は一味唐辛子のつなぎ役になっているほど」と解説する。父親は当初、商品化を全く考えていなかったというが、思いがけずヒットした。「営業の方が、『これを渡せば顔を覚えてもらえる』と買いにこられることもありますよ」。タレントの永六輔さんや落語家の林家喜久蔵さんら、
江戸の粋を愛する文化人もひいきにしてくれた。

 それから15年後の1986年、淡平の「激辛・特辛子」は現代用語の基礎知識・新語部門の銀賞を受賞することになる。この年は大手メーカーの辛口菓子「カラムーチョ」のヒットや、辛口カレーの登場などに代表される「激辛」ブーム真っ盛り。「淡平の激辛・特辛子も発売当初から評判だったのですが、大手の生産力が追い風になって、激辛が全国区になった形でしょう。激辛のルーツはうちで、ブームを作ったのは『カラムーチョ』かな」と鈴木さんは謙そんする。

 新語賞受賞の日、「激辛」を生み出した昭さんは「商品が認められてうれしい」と口にし、気張って着物を着たという。鈴木さんは「今では(激辛が)ごく普通に日本語としてみなさんに使ってもらい、注目してもらえることに感謝している」と語る。最新作は古代米を使ったもの。「うちはね、せんべいの生地、焼き、販売と一貫生産でやっているからね。だから激辛もできるですよ。ただ辛いだけ、甘いだけといった“げてもの”はやりません」。老舗のこだわりと伝統の技があればこそ生み出せた「流行」だった。
【江刺弘子】

                               2008,8,10