古代米煎餅

神田淡平 古代米煎餅

対馬の古代米(赤米)神事 長崎県下県郡厳原町(しもあがたぐんいづはらまち)

赤米は、大唐米とも呼ばれ、奈良時代には諸国で栽培されました。穂先が赤いので赤米と呼ばれましたが、調理のしやすさで白い米に劣り、次第にすたれ、現在では、神事用としてのみ栽培されています。対馬の南端厳原町豆酸(つつ)では、九軒が頭屋(とうや)仲間をつくって五世紀ごろから伝わるという神田を耕作し、その管理を一年交替で勤める頭主(とうぬし)を行ないます。頭主の家では収穫後の旧暦10月17日に、神職のお亭坊(おていぼう)を呼び、天井に吊るした次年の種籾の俵に神を向かえる神事を行い、翌日新穀で炊いたご飯を氏神に献じて頭屋同が共食し、旧正月二日には臼型の赤米餅を氏神に献じ、次年度の頭主への頭渡しを俵の移し変えと共に行ないます。

神田淡平では対馬の神田との縁を感じこの度、西表島の赤米を使用した古代米煎餅を製作いたしました、古に思いを馳せて遠く倭国の風味をご堪能ください。

                                                   店主 謹白