| 山里 栄吉 談 | |||||||||
| 山里 栄吉(画家 陶芸研究家)談 私は戦前 沖縄の焼き物の歴史を、いろいろ調べたわけなんですが、我々が、 沖縄の陶業史を調べる前までは、沖縄の陶器は朝鮮系だと考えられていたのです。 というのは記録にある、十六 一官 三官が薩摩藩から派遣されて、沖縄の 陶業が始まったと歴史に書いてある。 それまで沖縄には陶器はなかった、だから沖縄の陶器は朝鮮系だということに なっていたのです。 ところが色々調べてみると、沖縄の陶器はけして朝鮮系ではないのですね。 朝鮮系は薩摩を通した間接の朝鮮系です、直接の朝鮮系はないんです。 というのはこの碗(まかい)ですな、これは重ね焼きをするためにジャノメ があるでしょう、それから古いものに内はげと言って、ふちだけに釉を かけて内側に釉がぜんぜん掛かってないマカイが相当出てますな。 あれは決して朝鮮系じゃないです、あれは南方系ですね。 安南 ベトナムで焼いていたものの写しなんです。 朝鮮の焼き物はすっぽりとここを全部、この高台の全部に釉をかけるんです。 そして重ね焼きをする時は、目と言って土を五つは六つ置いてその上に 重ねる、そして窯から出すときはカンカンと割って、そこにウメバチみたいな キズが出る。 ![]() ![]() あれが朝鮮系であって、朝鮮系の焼き物はとにかくスッポリ釉をかける。 だから沖縄の焼き物は朝鮮系でなく安南系なのです。 また、朝鮮系には刷毛目と言うのがあるが、沖縄には無いのです。 刷毛目をやったのは昭和の初め頃、黒田利平安あたりがやってきて始めた のであって昔から沖縄に有ったのではない。 それから象嵌と三島のやつ、あれも朝鮮は高麗時代の象嵌青磁というものが あるけど、沖縄の陶器の象嵌は殆んど薩摩を真似したものなんです。 だから私はこう考えたのです。 十六 一官 三官の陶工が沖縄に連れてこられたのは貴族の茶器を作る為 もっと後で一官 三官は帰って十六だけ残ったわけだが、この十六を貴族が 大切にして、人妻を離縁させて与えたり、これはまあ、カラヤ節になるんだ けれども、そんなことをしたのは要するに貴族が茶器を作らせたかったんだ。 おそらく十六等は技術を秘密にして、湧田の陶工には教えなかったのではないか と考えています。 そういった意味でも沖縄の陶器はなんと言っても南方系なんですね。 現在沖縄に残っている南蛮甕の耳のガッチリした四つ耳の、胴から上に 釉を掛けたあの甕は本何番なんです。 あれはタイの物で私は一昨年バンコクに行って、そこの博物館を見ましたが 同じものが二つ飾られていた。 その説明書には600年以上前のソコタイ製と書いてあった。 向こうでは貴重品なんですね。 そのシャム南蛮が沖縄にはたくさん残っていると言うことは、はじめはシャムの酒 を入れて輸入し、その後 沖縄の酒を入れる為に大切にしたからではないか。 このような関係を見ても、沖縄の陶業は最初はどうしても安南系なんですね。 ![]() ![]() 安南 17世紀 ![]() ![]() 湧田焼 鉄絵 龍紋 17世紀 ![]() ![]() 広東窯 龍紋染付け 明代末 まあ、そのご薩摩を通した先程の朝鮮系も入るし、それから平田典通という人が 中国へ行って染付けや赤絵を勉強してきた。 また仲村という人は薩摩へ行って苗代焼きや竜門司焼きを勉強してきた。 それらを総合したものが現在の壷屋焼きであって、もともとは、私はどこまでも 南方系であると思うんです。 |
|||||||||