輸入陶器の時代

輸入陶器の時代と言うのは、琉球の歴史の上で按司時代後期として区分される時代で、中国 朝鮮 日本本土 東南アジア諸国と活発な貿易を展開した時期である。
いわゆる琉球の大貿易時代の始まりで、この貿易を通して、おびただしい数量の陶磁器、主として中国の陶磁器がもたらされている。
従って、従来の土器は、散発的に作られた程度で、殆ど姿を消し、士族の生活は、輸入陶器に頼るようになった。
この輸入陶器の時代の起点を、何故紀元後1300年頃とするかと言うと、最も積極的に対外貿易を推し進めてきた察度王(在位1350年〜1396年)の時代を前後するものだからである。
この頃の様子を伝える物に「球陽」という首里王府編集の史書があるが、その中の察度王の頃に次の様な意味の記述がある。
「察度王23年(西暦1383年)に明の太祖は、琉球に使者を送って招撫した。察度王はこれを受け、よしみを通じ、中国との正式な外交関係を築いた。察度王は弟の察期を使わして、太祖に貢物を送った。太祖は、そのお返しに、大統暦と絹布を賜った。それから4年後の1387年に、太祖は再び使者を琉球の送り、琉球産の馬や硫黄を仕入れた。琉球では白綿や綾絹は喜ばれず、陶器や鉄釜が喜ばれた。使者が帰ってからその事を報告したら、その後の取引には、おおかた陶磁器や鉄釜を持って来るようになった」と言う記録である。
この記述はおそらく中国の史書を基にして記されたのもであろうが、当時の状況を良く伝えているものと思われている。
この時期には前記したとおり輸入陶器に頼っていたため沖縄独自の焼き物はほとんど作られていなかった。


明染付け  (東洋陶磁博物館)                    明の赤絵