壷屋焼-1 | |||||||||
壷屋焼考-1 1682年首里王府の政策で各地に散らばる知花窯 宝口窯 湧田窯 を壷屋に統合し 振興政策が着実に進められた。 以後 300年余り壷屋は沖縄の焼き物のメッカとして今日まで続いている。 壷屋は設立当初、王府から7基の窯を拝領したと言われている、これを御拝領窯または公事窯と呼んでいた。 拝領した家柄は7家族で今日でもその家計は続いている。 その他焼物の原土を採取するための御拝領地も与えられていた。 御拝領窯は現在 二基残されている、一つは荒焼窯(無釉薬焼き締め主に壷 甕類)で南窯、もう一つは上焼窯(施釉薬陶器)で東窯と呼称されている。 壷屋の古老の話によると7つの拝領窯のうち上焼窯は1箇所だけで残りは皆荒焼窯であったと言う。 往時の沖縄の生活の中で荒焼の占める比重が、圧倒的に大きかった事を示している。 その他民間の窯は需要によりあるときは増設されあるときは潰れたりしながら明治の頃まで続いている。 壷焼考1〜4の引用資料 沖縄アルマテック 1〜5 やちむん 1〜13 沖縄の陶器 琉球陶器 沖縄の文化 うるま |
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