泡盛と壷屋焼


文献を紐解けば明治期 廃藩置県の後

九州経済圏に属した沖縄は大きな産業構造の変化に見舞われている。

大半の伝統的な家内工業は廃業に追い込まれ

内地の効率的な工業製品にその地位を奪われた。
(これは沖縄に限った話ではなく、他の地域も同じであった、資本の時代が始まったと言うことである)

壷屋の陶器も例外ではなく衰退を余儀なくされた。

細々と作り続けられたものは壷屋製でなければならず代換えの利かなかったもの

具体的には骨壷 酒器 甕類(酒甕 味噌甕 油甕 水甕)シ−サ− 赤瓦 墓前に供える花器のみである。

また今日ほど盛んではないにしろ地方特産品 お土産品としての琉球古典焼きが

新たに企画生産されたのみである。

昭和50年代の一般に市販された泡盛入り酒壷がある。

おどろくほど丁寧なつくりで、民芸の手法を踏襲している。

壷に刻まれた、陽刻のシ−サ−はお土産品の域を脱しているし

  

素焼きの琉球南蛮は江戸期の備前を彷彿とさせる。

多くの陶工がアルバイト感覚で食いつないだのだろう。

今日 壷屋の陶工たちはそのような事をしなくても食えるようになった。

酒壷は専門の業者が作るようになりと府県に見るようないかにも安物然とした大量生産に

なっている。

17世紀の昔 製陶の技法は泡盛とともに南方より伝わった。

そして現代 沖縄の製陶は泡盛によってその命脈を保った時期があったと考えてよい。

本土の陶器は茶陶をもって最高峰とされる、日本文化の一端であるが、

沖縄には茶陶文化はない、替わって王朝に保護 育成された首里の泡盛文化がある。

(国の重要文化財に指定された沖縄陶器はほとんどが酒器である)

もし沖縄陶器を集めるのなら酒器に限る と言うのが私の持論だがどうだろう。