Syracuse China Corp

沖縄県は太平洋戦争終結時から長らく米軍の施政下にあり1972年(昭和47年)5月15日に日本へ祖国復帰した。
沖縄は戦後の高度成長を米軍とともに過ごし50年代から60年代の古き良きアメリカ文化を図らずも大胆に取り入れることになる。
70才過ぎのオジーやオバーがファーストフード店でハンバーガー片手に談笑する姿は日本広しといえども沖縄県以外で目にすることはない、しかもオジーはサングラスを掛けていたりするから驚いてしまう。
沖縄のオバーのバイタリティーは有名だがどうしてオジーだって負けてはいない。
最近の那覇は東京郊外のような垢抜けた町並みが多いが郊外に目を向ければまたまだフィフティーズなアメリカが残っている。



A&W牧港店


私は50年代から70年代位までの間に作られたアメリカ製食器が好きで沖縄に遊びに行く際は必ずお店巡りをしている。
下の写真はSyracuse China Corpのマグで右は50年代左は70年代製だと考えている。
びっくりするほど重く丈夫な物、コンクリートの床に落としてしまい割れずに跳ねた兵である。
日本人には完全な理解が不能なアメリカ合理主義丸出しな物、情緒より機能というわけである。
当然アメリカ軍にも採用され沖縄ではたまに目にすることができる、リサイクルショップやサープラスショップで見つけた時は本当にうれしい。
ずいぶん前に下のマグを買った時 店のおやじが「これはタイタニックでも使っていたんだ、丈夫でねピストルの弾も跳ね返すサ」とのたまった。
タイタニック、、、、、? 3等船室ならあり得るか、しかも弾を跳ね返す、、、、深く詮索するのはやめよう趣味は楽しければよいのだ。
Syracuse China Corpの事を調べてみた、1841年の創業で1893年の万国博覧会に出品した事があるらしい、アメリカでは老舗のブランドで有名なようだ。
1800年代後半から1900年代前半の鉄道ブーム ホテルブームにのって急成長したらしい。
1873年には花崗岩磁器と銘打った重い鉄石を開発、丈夫で長持ちグラマラスなマリリンの様なマグを発表、文字通りアメリカを代表する磁器メーカーとなった、おそらく写真下右のマグがその末裔であろう。
確かなことは解らないが1970年頃まで製造されていたようである。

1960年代から更に合理的で大量生産が利き丈夫なガラス製食器パイレックスが台頭してその役目を終えたようである(写真下)、パイレックスはコレールとブランド名を変え今でも大量に作られている、一つの銘柄で年産一億枚以上なのだそうだ、そういえばイトーヨーカドーにも沢山置いてある。
ただ日本人の美意識からは陶磁器としては受け入れがたいものがあるらしく陶磁器売り場ではない台所用品売り場にあるのは御愛嬌である。



Syracuse China Corpのマグカップ







ホッキング社のガラス製食器ファイヤーキングとコーニング社のパイレックス

                               2008−8−8