スイス物か日本物か。
 那覇 光精堂 主人 又吉毛は、SEIKOの腕時計に思い入れが少ない。氏日く,「復帰前の沖縄では、オメガとセイコーの値段が同じだもの。セイコーは売れなかったよ。 オメガが一番売れたね。」
復帰以前の沖縄は腕時計の輸入に関税がかけられなかった為にこう言う事になったらしい。我々が思っている程、当時のオメガは高級品ではなかったのか。あるいはセイコーが思っている以上に高級品であったのか。おそらくどちらでもない。中間なのだと思う。1960年のセイコー製手巻腕時計を父の形見として持っている。当時のセイコーは皆が言う程、スイス製に比べ劣っているとは思えない。工作は丁寧であるし、設計もチラネジを廃止したりテンプの持ちをブリッヂ構造にするなど、保守的であったスイス製よりもむしろ先進的であった。(ローレックスは1998年にテンプの軸受けが両持ちのブリッヂ構造になったと大さわぎしています。両持ちが片持ちより無条件に良いとは言いませんが、最近になって両持ちを採用した以上、この点に関して、セイコーよりも40年近く遅れていると言って、問題ないでしょう。)一方でガムシャラな量産指向は、一品物としての品格を失い、スイス製に質感の点で見劣りし始めていました。作り込みの美しさ、伝統に裏はけされた無理の無い設計ではオメガに1日の長があった様です。修理のしやすさでは定評のあるオメガ、これはかくれた品質、性能です。修理がしやすいと言うのは、今の工業製品がおしなべて、忘れてしまっている大切な性能です。作りやすさばかり追い求めて、この事をおざなりにしている為に、今の工業製品は直すより買い換えろになってしまっているのだと思います。
話が戻って、先新の日本製か、保守のスイス製かです。クオーツ時計の開発で、一時はスイス製を崖淵ちまで追い込んだ日本製でしたが、今はスイス製の物造りの良さが見直され逆に日本製を追い込んでいる様に見えます。デザインも次々と新型を造り需要を喚起する、日本のやり方は行き詰り、スイス製の様に、長年の使用でも飽きのこない大人のデザインに支持が集まっている様です。しかし、売上高や、製産個数、もちろん精度でも、日本製の方が上です。同じ使用目的の工業製品を造って、企業理念によって、これほどすべてが違って来るものかと、勉強になります。結局、どちらが良いかは、あなた次第と言うことです。