技術

 アンデス文明に詳しい東京大学名誉教授・文化人類学の大貫良夫先生は自身の著書の中で次の様に言う。

「本物に負けるとも劣らぬような見事な複製品を作るには、きわめて高い、修練を積んだ技量が必要である。材料もまた吟味しなければならない。当然のことながら時間と費用がかかる。しかし一番の問題は技量であろう。いくら金と時間をかけても技量が低ければ、出来の悪い模造品しか作れない。これに対して、捏造品はやさしい。本物を丹念に観察し、形やデザイン、模様の特徴やくせなどをしっかりと把握する必要はない。クピスニケやチャビン様式なら、黒光りする表面の鐙形壷にすればよく、モチェ土器なら赤白二色で人面や動植物の立体的表現を胴部に作ればよく、南海岸のナスカ土器なら、舌出し神をモティーフにした多彩色土器あるいは橋付き注口壷を作ればよい。細かいデザインは細部を真似るのがむずかしいので簡素化する。こうして捏造品は考古学者からいとも簡単に見抜かれてしまう。しかし作るのにそれほどの修練を積む必要はない。」

「 じつはここにペルー人気質がよく出ているように思われてならない。手仕事の修練を積むのが海岸地方に住むペルー人は大の苦手なのである。日本の職人気質とは対極にあるようなメンタリティを持っているとすら言いたくなる。何か技術を教わる。すぐにもうわかった、全部覚えた、マスターした、もう専門家である、ということになり、技術の奥深さには思いが至らない。スペイン人侵攻以前の工芸品を見れば、そこには職人の高度な技量が蓄積され継承され習得されたに違いないと思わせる製品に出会うばかりである。したがって今日のメンタリティはスペインの植民地支配の中から生まれて根付いてしまったという仮説を立てたい。真贋の鑑定を狂わせるような模造品を作るだけの辛抱はできない。いきおい粗末な模造から変造・捏造へと、安易な製作へと傾いていくことになる。」

アンデス文明関連の歴史遺産に模造品が多く閉口するのと同時に現在の工芸技術レベルの低さを指摘した一文である。
植民地支配以前の高度なアンデス文明に対してスペイン人の植民地支配後あらゆる文化レベルが低下した事に関する嘆きとも取れる。
アンデス文明を南米ペル-を愛するが故の問題定義であろう、けして高度な贋物を作れという話ではない。
私はこの文章に接したときどうしても沖縄壷屋の陶工を思い出さずに入られなかった。
あれほどの栄華を誇った琉球王朝文化が明治の廃藩置県後は音を立てて崩れた事実。
事実上の植民地政策の前に琉球人のメンタリティ−が驚くほど低下した歴史。
紅型も漆器も織物も目を覆いたくなるような品質低下を招いた、継続できた物はまだ良いほうで消滅してしまった技術もあるのである。
琉球陶器に関して言えば王朝の庇護の下に有った時代の技術は消えてなくなった、現在の壷屋焼きは昭和初期の民芸運動によって見出されたもので琉球時代からの連続性は無い。
今日 各方面から高い評価を得ている琉球の伝統工芸品は戦後の、沖縄に関しては返還後の文化庁政策が功を奏した結果である。
他県にも同じような育成政策をしたにもかかわらず沖縄県の他数県だけが大きな成果を挙げていることは沖縄の潜在能力の高さを示したと言えるだろう。