戦果

戦果とは戦争の結果 効果と辞書にある、一般的には戦勝により得る戦利品と解釈されるのではないか。
沖縄県における戦果は戦後に始まった、県民は米軍の物資をくすねることを戦果と言ったのである。
米軍に対する窃盗行為であるが飢えと愛県心からおおいに奨励され(公式にでは有りませんが)大きな戦果を上げるものは尊敬された。
当時の花形職業は米軍お抱えのトラック運転手であった、学校教師の10倍の報酬が約束され頭がよく屈強な青年は全員が目指した職業である。
話はそれるが沖縄県は全国一女性教員が多い県であると言う、教育を受けた女は教員に男は米軍に就職するのがエリ−トコ−スだったのである。
そして高給を約束された、しかも米軍就職組みは副業にも恵まれていた、それが戦果なのである。
最盛期には2トントラックを闇業者に横付けする勇者も現れたと言う。
「トラック一台分で一財産、嫁に行くならトラック運転手」とは当時の女子学生の合言葉。
米軍も見てみぬふりをする良い時代であった、こうでもしなければ沖縄県の経済復興はままならぬ事を誰よりも知っていたのが米軍だったのである。
それでも見せしめの取締りを行い見つかった物は路頭に迷う事になる、戦果を上げようとする者も命がけであった。
最高の戦果は換金性のあるもの ジョニ−ウヲ−カ−に洋煙である。
ジョニ−ウヲ−カ−を酒グワ−、ラッキ−ストライクをアカダマ−、キャメルをシカグワ−と呼で沖縄最初のブランド商品となった。

86歳 男性の思い出話。
私たちは夜半戦果に出向いた、浦添の米軍倉庫、まずは歩哨がいないか恐る恐る確かめた。
金網の周りは照明があるものの人の気配は無い、私たちはカッタ−で金網を切断し、外へとダンボ−ルを手渡して集め海岸へ運び船に積んだ。
品物の中身は解からない、途中船の中は遊郭の女の匂いはするし、なんだろうかと思っていた。
荷揚げして箱を開いてみるとアカダマ−とラックス石鹸である、皆「戦果 戦果」と幸運(ラッキ−)を喜んだ。