琉球民謡

沖縄県立美術館を訪ねたときのお話です、私は一枚の大きな絵の前に座りそれまでの炎天下から解放された安堵感に浸っていました。
エアコンの利いた館内は居心地がよく、絵を見る訳でもなく沖縄の海岸の風景が描かれた絵の前に座ったのは偶然でした。
しばらくして気がつくと小さな音で琉球民謡が流されています、おしゃべりをしていたら気付かないほどのほんの小さな音量です。
その民謡は戦前に録音された古い物で古典民謡として今日残されている最も古い物の一つでした。
地の底から湧き上がる様なおどろどろした老人の歌声とゆっくりとした旋律、背筋が凍る思いをしたのは偶然ではなく後でわかった事ですが歌詞の内容が人頭税による生活苦を嘆いた島民のうめきだったのです。
眼前の絵画が奏でているような錯覚にしばしすくんでしまいました。
現在の沖縄民謡は全国的な人気を得ていますがコマーシャリズムに毒された観光土産の様にお手軽な偽物である事に気がついた瞬間でした。
ようするに絵画にせよ民謡にせよ楽しい事にせよ悲しい事にせよ魂の叫びが無ければ人の心を打たないという事です、今でも沖縄民謡には白眉な物が多いのですがオリオンビールがどうたらこうたらオジーとオバーがどうしたこうしたではない本物の琉球民謡に触れたいものです。
そして私は加藤唐九朗と立原正秋の対談を思い出しました。
「民謡も民藝もコマーシャリズムとくだらない理論に武装された瞬間に堕落が始まります」

                            2011−1−1