ペリー

ペリー提督を乗せて浦賀に来航した黒船が浦賀に来る前に那覇に立ち寄っていたことはあまり知られていない。
アメリカ艦隊一行は琉球王朝による手厚い接待を受け補給物資搭載後に浦賀に向かった。
ペリーが上陸した那覇市山下町
の海に面する交番は今日でもペリー交番の愛称で呼ばれ当時を偲ばせている。
ペリーの航海日誌によると首里城に招かれた一行は大宴会のもてなしを受ける、親指の爪に乗るほどの小さいカップで酒をふるまわれその味は最上級のスコッチウィスキーの様であったと書かれている。
虎の子の泡盛古酒を大胆にふるまわれたと見える、琉球人のここぞという時の接待能力は世界でも指折りで粗相なくお帰り頂いたと言うところであろう。
琉球にとって新しい文化も厄介な出来事も自然災害すらも全て海の向こうからやってくる。
それらを頑なに海岸線で防衛、追い返すのではなく一端は受け入れて良いことも悪いことも許容した後に円満にお帰りいただく術を心得ている。
こうした技が大国の圧力に絶えずさらされていた島国琉球の知恵なのである。
琉球空手師範のインタビューを聞いたことがある大変感動し座右にしているくらいなのだが 「勝つための、人を殺すための方法なら空手は必要ありません、勝たなくていい、しかし絶対に負けない、それが琉球空手なのです」
14世紀の明国の脅威、17世紀の島津藩侵攻、明治の廃藩置県、太平洋戦争沖縄戦における地上戦、戦後のアメリカ世これら外界からの脅威を耐え忍んでなお自国の文化を絶やすことのない琉球の強さがこの一言に集約されていると感じませんか。

さて親指の爪に乗るほど小さい杯とはどの様な物なのか予てから気になっていたが最近18世紀の壷屋焼きお猪口を入手することができた、これが大変かわいらしい物で大男であったペリーには奇異に映ったことであろう。(写真下)
それにしても沖縄は骨董天国です、ペリーの使った猪口と同じものがたったの5000円、この価格で古に遊べるのですから。
沖縄に行くことがあれば是非骨董探訪も意識してみてください(これが言いたくてこの章を書いています)旅の深い楽しみ方の一つではないでしょうか。
写真のカラカラは17世紀湧田焼き、今日最も多く写されている古典的な形でカラカラの最高傑作と言えるものです。








写真下 17世紀湧田写し 眞喜屋修作
(大変よく出来ていて肉薄していると表現したくなりますが一つだけ注文すれば注ぎ口の鋭さがいま一つ、もっと悠々と、そして力強く)
 

 

                        07−10−11