沖縄ホテル
 国際通りを安里に突き当たり、右に折れれば首里城へと続く坂道である。
琉球王朝栄華繁栄の頃、この坂道は城へと向う士族の往来でたえまなかった。
山頂のこの城は、当時世界貿易のハブ港として栄えた那覇を一望のもとに見下ろし、その一括管理国家権力の象徴として、民の頭上に荘厳であった。
 天然の良港那覇は、首里城の西約5kmに有る、浮島の別称をもつように、河川や干潟によって仕切られた弧島状の港町だったのである。現在の那覇は戦後埋立て再開発が行われた人口の町であることを知る者は意外と少ない。大型の進貢船が出入可能な天然の津口に各国からの貿易船が係留される、この港は、国際色豊かな国際都市でもあった。進貢船は、最近NHK大河ドラマ「琉球の風」の為に完全な復元が行われている事は記憶に新しい。全長40mに達する当時の世界最新鋭船が数十艘係留されている姿を想像すれば沖縄県民でなくとも胸を熱くする。海洋民族の誉ここに有りである。
那覇から首里へと続くこの道は、今も昔も県民の幹線道路の様だ。近々営業されるモノレールもほぼこのルートを踏襲する。そしてこの坂道には比較的歴史の有るホテルがいくつも有るのである。
 その中の1つ、沖縄ホテルの入口の角に戦後間もなく営業した時計店がある。手書きの「時計・カメラ」の看板が私の目に飛び込んだ。この道は10年来訪沖のたびに通る道なのだが、今更ながらの発見である。まあこの手の事はこんなものなのだ。店内にはあるわあるわ60年代70年代のデットストック、その数300は下らない。これは決してオーバーじゃなく、本当にその位はありそうだ。カメラも10台位60年代の物が有る。今回は時間が無く下見に終わったが、次回は子細な報告をするつもりである。