名前入りの湧田焼の碗

明時代後期、明政府は私貿易を禁じ国家間貿易で有る朝貢貿易以外の全ての外国船の明への入港を禁じ特に海賊行為すなわち倭寇の取り締まりを強化した、しかしこうした政策の結果皮肉にも後期倭寇は最大勢力となる。
この時代の倭寇は日本人、中国人、朝鮮人の連合組織となり国際密貿易集団の様相を呈し海賊でありながら貿易商の側面を強化している。
九州の薩摩を本拠地に五島列島、琉球、フィリピン、明の福建省などにアジトを持った、福建省は琉球船の居留地でもありこの時代の琉球貿易と後期倭寇のつながりは面白い研究テーマだと思う。
いずれにせよこうした密貿易行為がアジア全体のチャイナタウンの形成を手助けしている、そして人ばかりでなく福建省から積みこまれた中国南方の産物をアジア一帯に流通させた。
日本以外にも琉球や東南アジア一帯で大量に発見される明末の広東窯の碗などは後期倭寇密貿易最大の商品の一つだったのだろう。
日本の戦国時代に安南(ベトナム)の陶磁器が大量に国内に流通するがこれも後期倭寇の業績かもしれない。
さて明末の広東窯の碗には高台内の土見せの部分に所有者の名が墨書きされている物をよく見かける、航海中の生活や各地のチャイナタウンでの共同生活の中で自身の所有物を明確化する得策だろう、名前入り広東碗はこの時代の特徴と言えるのである。
最近こうした名前入り広東碗と非常によく似たテイストの湧田碗を発見した、時代は広東碗と同時代と断言して良いだろう。(ヤクオフで五千円)
中国人使用と思われるこの湧田碗は湧田焼き成立の時期を探る貴重な考古学資料である可能性が有る。











                    2014-1-23