モ−ビルてんぷら

戦後の沖縄は餓えていた。
沖縄戦終結後 県民は本土の敗戦を強制収容所で向かえる事になる。
収容所の中での食料は米軍の支給品であった。
支給されるレ−ション(野戦用携帯食料)は弁当箱ぐらいの紙箱に入っており中にはチ−ズ、ハムエッグ、ビスケット、コ−ヒ−、粉ジュ−ス、たばこ、などである。
米軍の力はこの豊かな食料からも痛感する事になるそしてこの時おぼえたポ−クの味は現在でも沖縄の食卓に頻繁に上る。
支給される食料は当初十分とはいえなかった、そこで県民は米軍の備品MOBILE製の機械油を使っててんぷらを揚げることになる。
体に良い訳は無いが餓えにはかなわなかった、当時の人に聞けば青光りして揚がるてんふらは鼻につく独特な異臭がしたと言う、それさえ我慢すれば味はなかなかの物であったらしい。
モ−ビルてんぷらの食いすぎで死んだ人がいたとは聞かないが思わぬ副作用に閉口したらしい。
モ−ビルは体内で消化吸収されない、そのままのかたちで排泄される。
しかも排泄の時の自覚が無いらしい、気が付くとズボンの股間がべっとりと機会油で汚れるのだそうだ。

終戦間もない沖縄での結婚式、餓えてはいたが平和に安堵する県民、「今日はご馳走だよ」と大量のモ−ビルてんぷらを揚げる。
子供たちはこんなごちそうにありつけるのは初めてと喉を鳴らす。
鼻に付く異臭、一瞬顔を見合わせたが一人が言った「おいしいね-」 すると周りの子供たちは次々に「おいしい おいしい」とむさぼり食べた。
次の日は全員がトイレに入りびたりで学校どころではなかったと言う。