まぶい

まぶい 沖縄の方言で魂のことである。
沖縄では驚いたりショックな事があると まぶいを落とすと言われている。
そうなると病気になったり体調不良になったりで大変
あるいは年中ボ−っとしているような人を「あれは まぶいを落としたさー」
と心配するわけである。
それでは、どのように対処するかと言うと まぶいを落とした所へ行って
「まぶやー まぶやー」とおまじない、両手で魂をすくう動作をして胸に当てる
これで万事解決である。
こう書くとまるで子供のおまじないのようで、「えんがちょきーった」と大差ない
様だが、沖縄ではこれは大真面目、沖縄の宗教観 先祖崇拝の思想に
裏付けられた地域信仰、大変身近な生命感なのである。
魂を戻す儀礼を「まぶいぐみ」とか「まぶやーぐみ」と言う。
重症になると ゆた(沖縄の霊媒師)に頼んで抜けてしまった魂を体に戻す
儀式をする事になる。
さて何でこんな話をするかというと 先のエッセイ「湧田の美」で書いた
柳 宗悦談 「草を思わずして草を描き 鳥を思わずして鳥を描く 遂には
牛を想って馬を描く、元を忘れた所に新しい生命が生まれ、これが凡ての民画の
共通の性格である」の言葉を受けて新しい発見をしたと思うからである。


           湧田鉄絵 龍紋 17世紀

この鉄絵は 時代 書式 形から 明代末の民窯染付け龍紋に影響を受けた
龍の絵に間違いないと思うのだが繰り返し描くうちに柳先生の言う
元を忘れ「龍を思って まぶい を書いた」のではないかと感じるのです。
この鉄絵を始めて見た時のどう理解して良いのか解からなかったなんとも不思議な感覚、龍ではどうにも腑に落ちないもどかしさ。
絵の持つ不思議な生命力と存在感 躍動感、今にも飛び出してヒョロヒョロと
空中を泳ぎそうなのだ。
そうだ これは龍なんかじゃない沖縄の魂「まぶい」に違いない。
「龍を忘れて描いたもの それは「まぶい」だ」と思うのです
17世紀の琉球人には見えたのです まぶいが。


 そんな訳で 湧田鉄絵 まぶい紋 17世紀


さて現代の沖縄の人は まぶい についてどの様な考えをお持ちだろうか。
まぶい 検索でネットサ−フィンを楽しんでみた。
その中でも革命的な解釈を以下に紹介します。

まぶい=魂の事 沖縄では良く落とす人がいる。
その症状は人により様々だが、最も多い症状は「心ここにあらず」と言う感じ。
もう少し進むと貧血などの身体的障害も見られる事がある。
一般的には驚いたとき落とすとされているが、最近はリストラなどの社会的要因で
まぶいを落とす人も多い。

まぶやー=まぶいを落としたままでは日常生活に支障をきたすため、沖縄の人は
まぶいを拾いに行く、そのとき使う呪文。
この呪文を繰り返し、両手ですくって胸にしまう動作をする。
基本的には落とした場所に行って拾うが、見つからないときは便所の
神様に頼んで持って来てもらう。
沖縄の便所は排泄物以外にも汲み取るものがあったのだ。
しかし最近は水洗便所が多いため、まぶいも一緒に流されてしまう可能性があると
県の公衆衛生課で問題になっている。