光精堂 5
 1999年6月、修理をお願いしたヤシカJ3の引取りに光精堂へうかがう。
約束どおりに仕上がったカメラを私に手渡すと、店主は少し誇らしげに胸を張った。もちろん店主は威張っている訳ではない。客の要望に答えた自分の仕事に対して、喜びを隠せないでいる様子なのである。ヤシカJ3は、シャッターの前幕と後幕の間にすき間が出来てしまい、光が漏れている状態になっていた。本機は分解掃除の後、幕の張り直しを行う事になる。幕その物は、交換の必要はなさそうなので、シャッタードラムに幕を接着し直し、調整を行うことで直りそうであった。実際店主も、その様な修理を行っている。修理代は1万円との事であった。
「この手のカメラは、全部分解しないといけないから面倒くさい」と言う。
1万円なら高くはないと言いたいのである。高くないどころか、これと似た様な事を東京の修理店で行ったら、5万円位取られる事になる。安い物なのである。
ヤシカJ3は修理明細もなく、気のきいた梱包もなく、スーパーの白いビニール袋に入れられて、無造作に手渡された。これからまた数十年、このカメラは写真を撮る機能を維持するだろう。人と機械の付き合い方に、悠久の密月が有っても罪にはならぬ。
 以前光精堂におじゃましている際中、大きなカメラバックを持った男が入って来た。ニコンFを取り出すと、
「シャッターの調子が悪い」と切り出す。数回に一度、シャッターが落ちないそうである。店主はおもむろにカメラを手にすると、裏ブタをはずしてシャッターの調子を見ている。その場で底のプレートをはずすと、ネジとギアを精密ドライバーでいじっている。
「ああ、ここが悪いんだな。ここをこうすると直るんだよ」
客に話しかけながら調整している。客は店主と一緒にカメラを覗き込みながら、今度同じ様な症状が出たら自分で直してやるといった様な顔をしている。数分で直ったニコンFは客に返される。客は礼を言うと店を出て行った。この程度の修理では金は取らない様である。
店主は、「あれは以前私が売った物だからサービスしておいたよ」と言って笑っている。
東京ではとうの昔に失われた、店と客との付き合い方が、ここ沖縄ではまだまだ残っているのである。