光精堂 4
 カメラのさらなる電子化とヤシカが京セラに吸収合併されたことにより、部品供給と人脈が断たれ、光精堂は次第にその役割をおわれていった。郊外型のカメラ安売大型店の出現もさらにおいうちをかけていった。カメラは耐久消費財としての性格から、事実上使い捨て商品に成り下がっていったのである。万が一直す場合でも、今日の発達した宅配ビジネスを活用して、海を越え簡単に内地の工場へ送ってしまう。この様な業務を大型店が一括して行う様になって行ったのである。業態として、最先端の地位は追われたが、沖縄県内には依然として多くの修理依頼がある。店主の目に陰りはない。店主は今でも当時の部品を大量に保存している。内地では、すでに処分されているであろうそれらの部品は、今日では貴重である。案外今後地方において、こうした部品が大量に発見される可能性が高いかも知れない。それらは、カメラコレクターにとって宝の山である。また今後、機械式カメラ文化を、最後まで支える礎ともなりかねない。地方のこうしたカメラ、時計修理店が後継者に恵まれ、末永く存続することを願ってやまない。
 それにしても、30数年前長野に降り立った店主は偉大である。私は、人は一生に一度仕事をすればよいと思っている。一生に一度勝負すればよいのである。この時の店主がそれであった。世界を股にかけるどんなビジネスマンよりも、世界をつき動かすいかなる政治家よりも、この時の店主は光り輝いていた。