光精堂 2
 光精堂を2度目に訪れた際、作業場を詳しく拝見させて頂いた。
2台の作業机と、無数の引き出し棚にカメラ、時計の部品が大量に置かれている。部屋のあちらこちらに多数のダンボール箱や、菓子箱も置かれていて、それらの中にもパーツ類がギッシリの様である。部屋の中央、穴のあいた畳の上には、1台のニコンFがころがっている。そのかたわらには、ライカM3の底蓋が放り出してある。無雑作な様子に一瞬驚くが、考えてみればこれこそこの2台のカメラにとって、自然な姿かも知れぬ。
 ニコンF現役当時、沖縄は戦時中であった。
カデナ基地からは、連日のようにB51が飛び立ち北爆へ向かう。軍港は、戦車、車両、自走砲でうめつくされていた。忘れてはならない、沖縄はベトナム戦争における一大軍事物資の補給基地であったのである。
カデナ、グアムは、米軍の最重要戦略拠点であった。軍から修理依頼されるカメラは、大至急修理され戦場に舞い戻る。宝物にさわるように大切に扱っている場合ではない。ニコンF ライカMとて例外ではない。本来この2つのカメラは、こう言うカメラなのだ。
沖縄のFは、キズ付く事を悪れず仕務を果たさなければならない。
沖縄のFは、東京のFよりたくましい。
そんな事を感じさせる空間であった。