光精堂 1
 那覇市の泊港近く松島に、光精堂と言うカメラ時計の修理、販売店がある。
 木造2階建の沖縄式家屋なのだが、店の入口ガラス張りの大きな引戸には、ヤシカカメラサービスセンターと金色のステッカーが貼られている。一見サービスセンターには見えないこの店の入口に向かって右手には、ショーウインドウがあり、新旧の時計、カメラなどが所狭しと並べられていた。ショーウインドウの前面ガラスには、タイメックス、ブローバー、エルジンなどのステッカーも貼られていて、この店がカメラだけを扱う店でないことを主張している。表示する時計のブランドが全てアメリカ企業の物である点など、戦後数十年に渡るアメリカ施政の名残りを感じさせて面白い。3坪程の店内のさらにその奥には、4畳半の作業場がある。畳部屋なのであるが、中央奥に修理作業用の事務机があり、その両側にすえつけられた棚には、大量の部品が置かれている。
 この日私は、2個の掛け時計を買い求めた。
USアーミーの銘が入った物と、USガバメントの銘が入った物である。2個ともベトナム戦争当時、アメリカ軍によって使用されていた物で、共にアメリカ製である。後年民間に払下げられた物だが、この2つに関しては、ベトナムから入荷した物であるという事だ。
 店主は、中のムーブメントを取り出すと説明を始める。
歯車も、それを支える金属板も、通常の時計の倍近くあるとのことである。天針が折れないように、強い衝撃は加えないでくれと言う。直らないことはないが、かなり面倒なのだそうである。それさえ気を付ければ、あと百年位は動き続けると言っていた。シンプルな構造で、大変頑丈に作ってあるらしい。こうした物を、実用品としてさりげなく売っている所など、いかにも沖縄である。
 店主に、米軍放出の軍用カメラはないかと聞いた。
かつてはかなり有ったが、今はあまり出てこないそうである。それでもショーケースの中に、なかなか雰囲気のあるカメラを見付けた。
 ヤシカTL エレクトロなのであるが、ボディー前面左側に、白ペンキで大きくKHSの文字が書かれている。手書きなのだが、もう少し丁寧に書いたらよさそうにと思う。しかし、この辺が米軍放出品らしいテイストである。
米空軍カデナ基地からの放出品で、KHSの頭文字はカデナ・フォト・サービスの略字であると言いたい所だが、実は基地内のアメリカン・スクールである、クリバヤシ・ハイスクールの頭文字であるらしい。ハイスクール内の写真部が所有していた物なのであろう。日本人にはない感覚なのだが、米国人は公共の備品は盗難を恐れて、その所有する団体の記号を大きく書き入れ、商品価値を著しく低下させることによって防衛する。
 我々日本人には、このことがかえって新鮮に映り、カメラとしての物の在り方として、なかなかかっこよではないかと言うことになる。感覚の違いと言えば、以前他のサープラスショップで入手した、米軍放出のカメラにも驚いた事がある。基地出入証を持った、店主直接の仕入れであるから間違いない物なのだが、それが驚いた事に、シアーズブランドのリコーXRなのである。日本なら、民間でもめったに使わない安物を、米軍はアメリカ本土から取り寄せたことになる。我々は軍用と言うと、改造、補強され、緑色に塗装された特別な物と思い浮かべるが、実際には、こうした物も大量に使われているのである。各地に散らばる部隊が、自らの裁量で色々な物を調達する。このカメラは、こうした物の一つなのであろう。この手のカメラは、ペンタゴンの正式採用ではないと言う意味で、軍用カメラとは言えないかも知れぬ、しかし、物によっては戦地におもむき、数々の惨劇を目にしているのだから、私は軍用カメラと呼んであげたいと思っている。
 NHK特集「ベトナム戦争」を見た事がある。
アメリカ陸軍通信部隊の苦闘の記録であった。彼らの使っているカメラのほとんどが、特別なのもではなく、市販のカメラであった。消耗の激しい戦場では、使える物は何でも使う、これが現実なのである。
 店におじゃましている最中、店主の娘さんが高校から帰って来た。
「これ電池入れ替えておいてって」と、店主に腕時計を手渡した。
店主は軽くうなずく。
娘さんは、慌てる様にして店の奥に入って行く。
本土の人間がめずらしいのか、店の奥からこちらの様子をうかがっている。
おおむね好意的な視線ではある。彼女もまた、商人の娘なのである。店主は優秀なセールスレディーをお持ちのようである。