金城敏男

弊社HPをご覧頂いている方には私が沖縄陶器に夢中であることがばれてしまいます。
ばれてしまうどころか手を変え品を変え結局の所また焼き物の話かよみたいな事になってしまっているのが沖縄情報のページ。
そもそもなぜ沖縄陶器に嵌ったか種明かししますと修士論文(博士前期課程)作成の必要から沖縄の市場調査をする為、一ヶ月間那覇に滞在したことがありました、この間暇を見つけては沖縄の文化に触れるようにしていたのです、県民性と歴史認識、伝統文化の理解なくして沖縄の市場を語れるはずがありません。
この頃は沖縄再開発ブーム只中で行く度に新しいホテルや公共施設が建設されていました、これに伴う都市インフラとして沖縄モノレールの工事が始まっていました。
モノレール牧志駅開設に伴う立ち退きのため現在は無くなってしまったのですが安里川の土手に不法建築の様な形で半分川に突き出してしまっている古民家の焼物屋、平良商店がありました、建物の面白さにひかれて入った店でしたが下の写真の壷を買ってしまったのです。
後で知ったのですが平良商店はその道では有名なお店らしく沖縄県初の人間国宝、金城次郎氏の親せき筋なのでした、そんな訳で次郎作品の名品が東京価格の半額以下で手に入る今考えれば夢のような商店だったのです。
琉球研究が思わぬ生涯の趣味を生んで、ミイラ取りがミイラになったと言う話ですがこれはこれで有難い事です。

金城敏男作 

写真は次郎氏の長男 金城敏男氏の作品。
敏男氏50代、最も力のある時期の作品でこれ程の作品にその後出会うことがありません、知識が無かったが為にかえって本質が見えたと言う事なのでしょう。
コレクションしていけば当然もっと良い敏男作品が欲しくなるのですが最近はもう諦めてしまいました。
その後本を読んだり仲間に聞いたりしてみると、「最初に買ったものが一番良い」という事はよくあるのだそうです。
宮崎駿風に言えば「曇りなき眼(まなこ)でみた」と言う事でしょう。
青山二郎風に言えば「目玉で見た」と言う事なのでしょう。
私は敏男氏のファンになりましたが残念ながら御病気のため現在はあまり作陶できないようです、敏男窯そのものは御子息が守っているようですが昔の作品とは違った物になっています。
                                  2010−2−23