自衛隊 航空偵察カメラ
 久しぶりにカメラのタカチヨにおじゃましました。この店には5年前から自衛隊で使用されていた航空偵察カメラが有る。1974年の旭光学製で、防衛庁による特注品である。付属する取扱説明書はぶ厚く立派に製本された物で、布地の表紙には箔押しで防衛庁の文字がまぶしい。内容は、青焼の設計図まで付属しており民生用とは違った迫力を感じる。1973年の沖縄本土復帰翌年の物である。この時期の沖縄駐留部隊の力の入り様が伝わってくる一品である。最初このカメラには59万円の値札が付いていた。その価格は行くたびに値下がり、今年はついに29万円になっている。私は深い意味もなく店主に
「相変わらず売れませんね」と言う。
苦笑いする店主は思わず口にした。
「鈴木さん、10万円でいいや、持って行かない?」私は驚いてしまった。
 最初59万円だった物が、今は10万円でいいと言う。10万円は安い。特殊な物で日常使い道がないから欲しいとは思っていなかったが、10万円なら話しは別である。超がつく程めずらしい物である事は間違いがない。めずらしすぎて高値が付かない代表的な例なのである。
物の価格が高値で推移する為には、ある程度の物流量が必要である。活発な売買があちらこちらで起き、その度事に値上る。その既成事実がさらに高値を呼ぶと言う循環である。今日、ローレックスが異常に高価なのも、この原理を裏付けている。数百万円で取引されるデイトナは、年数万個単位で生産されている事は間違いない。この生産量は骨董の世界では決して少ない数ではない。クラシックカメラの世界で、最も高値を呼ぶ生産量のレンジは、500個から1000個位であると考えている。500個以下だとその数の少なさに対して正当な価格、評価がされているとは言いにくい。世に言うめずらしい物とは、1000個以上10000個以下位の物をさして言っている様である。1000個以下の物であると、一般の人が目にする事がほとんどない(あっても気付かない)ので、めずらしいと認識する事すら希薄である場合が多い。もちろんコアなコレクターや研究者は、違った視点を持っている事は言うまでもない。
さて、このカメラだが店主は10万円の価値は充分に有ると言う。その理由の一つが、カメラに内臓された高性能時計の存在である。この時計を取り出して売ればこれだけでも10万円は下らないと言う。内部を見せてもらうと、なるほど腕時計位の大きさの絵に描いた様な軍用時計が入っている。真黒な文字盤に1から12までのアラビア数字がくっきりと大きく白字で書かれている。それ以外の表示は一切無い。数年ぶりでねじを巻いてやると元気に動きだした。この瞬間私は購入する決心をした。なぜだか自分でもよくわからないが、完全にはまってしまった瞬間であった。このカメラが製造された翌年ベトナム戦争が終結する。本土復帰に続いて、2番目の大きな社会構造の変化に見まわれた沖縄。大量の米兵が沖縄から引き上げた後、不況の嵐が吹き荒れた。そんな時世にこの時計は気丈に時を刻んだのであろう。ますます責任重大である。人目ふれず裏方に徹しながらも、貴重なネガの片隅でしっかり自己主張したであろう。君はいじらしい。