濱田庄司

濱田庄司の流釉はあまりにも有名で民藝の世界を、あるいは現代益子焼を代表する芸術として多くの人々に知られています。
濱田庄司自身が自身の作家活動を「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と振り返っている事はあまりにも有名ですが下の写真の沖縄の焼き物と濱田作品を比較すると手に取る様に先の言葉を理解する事が出来ます。
間違いなく濱田は沖縄の湧田焼を見ていると思うし大きな影響を受けています。
机上の勉強と現物のコレクションが大きな知見を導く好例だと思います。

沖縄の失われた古の美意識を民藝理論武装の上で今日の益子焼に蘇らせ多くの人達に愛されるレベルまで昇華して頂いた事に感謝しない訳にはいきません。
それにしても二つの現物は酷似していて鉄分の多いボディーに白土掛けの上、黒釉の流掛、黒釉の味わいも全く同じものです。
沖縄に愛が無ければここまでのミメーシスは不可能です、そして沖縄をここまで愛した(行動に現れてしまっています)濱田庄司が気になります。

上左 濱田庄司作 流釉角偏壷     上右 湧田焼鉄釉流掛瓶17c


上 湧田焼鉄釉流掛壷 18c

↑ 濱田庄司作 鉄絵碗       ↓湧田焼鉄絵草花紋碗

                    2015-6-18