断絶

琉球王朝時代の壷屋焼きと昭和初期民芸運動により再発見された壷屋焼きとの間に技術的連続性は無いと過去のエッセイに書いた。
写真1と2をご覧頂きたい。
写真1は18世紀の湧田、壷屋焼きである。
写真2は現在の壷屋焼き金城敏男氏の作品である。

   

   

   
   写真1                       写真2
写真1と2では使用する陶土が全く別物である事がよく判る、これを証拠に琉球の廃藩置県の時期すなわち沖縄社会の混乱期に壷屋焼きの技術継承に断絶があったと確信するのである。
一つの窯場ブランドの物が時代の変化とともにデザインや形が変わっていくことは周知の事実である、しかし原材料の大きな変更はない。
例えば初期伊万里と現在の伊万里はまったくの別物だが技法と原材料はほぼ同一であることから伊万里焼は江戸初期から現在に至るまで連綿と技術の伝承がされていると考えられているのである。

王朝時代の壷屋焼きは唐津焼きの影響が強く出ている、時代が違うからあたりまえなことだが民芸運動とは全く無縁である。
写真3をご覧いただきたい写真1と同時代の唐津の陶片 神谷窯址の物である。
両者の間に同じ陶土と同じ技法を感じないだろうか。
海により数100Km隔てられた両者の土が同じ物なわけが無いのだが技術的類似性がある為に極めて似たような作風になるのである。
薩摩藩から琉球に技術移転が有ったことの証拠である。


   


  
写真3  唐津焼き神谷窯址
                                  2007.8.9