長次郎はウチナンチュ?(長次郎は琉球人?)

(歴史をいじくり回して楽しんでおりますが、もちろんこれは何の根拠もない仮説です。こんな話は楽家に受け入れられるはずもなく、あくまで与太話、楽しいお話として受け流してください。)

長次郎とは桃山時代楽焼の陶工、楽家15代の初代にあたる。
利休とともに茶の湯創生に関わりおそらく太閤秀吉とも面識があったであろう。
長次郎の残した茶碗はほとんどの物が重要文化財、それ以外の物でもそれに準ずる名品である。
長次郎とはどの様な人物であったのだろう、意外なことに長次郎に関する一次史料はないに等しい。
長次郎没後100年5代宗入によって書き残された二次史料によってその生い立ちを知るのみである。
没後100年、本人の関与しない史料であるから事実と異なるかもしれないが子孫が書き残すものであるから史学的には歴史史料として重要視される、ただし二次史料である。
これによると長次郎は明国からの渡来人、本来は瓦職人でその技術が利休の目にとまり楽焼創生の機会となる。
没年は1589年桃山時代、生誕年は不明である。
どうやら京都の寺院建設にかかわるため明国からやってきた瓦職人でその後帰化、長次郎と名乗ったらしい、父の性は「あめや」である。
長次郎の時代の楽焼は碗に名がなく本当の所だれが作ったか分からない、利休や当時の千家の箱書きによって長次郎作と認められる。
そんな中、唯一長次郎作と名があるのが写真1の獅子の屋根瓦である。
これは何かに似ているとは思わないだろうか、そう琉球のシーサー(写真2)である。

 
写真1 楽美術館蔵              写真2 沖縄のシーサー

薄学な私が見ればシーサーそのものに見える。
そして長次郎は琉球人ではなかったのか!
史料によれば中国からの渡来人となっているが当時は現在のような明確な国境線があるわけでなく唐人と言った場合、現在の外国人ぐらいの意味しかなっかったのではないか、唐人と言えば明国以外にも琉球を含めた広く東南アジアから中国南部を総称していたと考えられないか。
少しばかり似ているからと何を言うかとの声が聞こえる、だいいち狛犬など世界中にあるではないかと。
もちろん獅子像や狛犬がアジア一帯に分布するのは承知しているもともとはエジプトのスフィンクスらしいからヨーロッパ全域を含めていいかもしれない。
しかし長次郎の獅子は日本や他国の狛犬とは明らかに違う、唯一琉球のシーサーのみが酷似しているのである。
すなわち瓦職人でも長次郎は琉球の赤瓦職人ではないのか。
もうひとつ理由がある、楽焼は長い伝統と確かな技術を持っているにもかかわらず何故か黒楽と赤楽しかない。
他の色を作ろうと思えばた易い筈である、にもかかわらず黒と赤のみである。
(もちろん例外的な作品が少量あるが)
茶の湯に黒い茶碗の理由は簡単だ、長次郎以前最高の茶碗は黒と決まっていたのだ、すなわち天目茶碗である。
もう一方がなぜ赤なのか実はここに長次郎のアイデンティティと生い立ちを感じる、そして長次郎が琉球の赤瓦職人であった証でもある。
実は赤楽茶碗の赤は今日我々の考える赤色ではない、もっと土色に近い朱色なのである、そうですあの首里城正殿を飾る赤瓦の色なのです。

    
  赤楽(銀座黒田陶苑)                           赤瓦の民家