米軍PX技術サービス
 1985年位まで沖縄の米軍基地内において、年一回国内カメラメーカーサービス部隊による、無料カメラメンテナンスが行われていた。有力なカメラメーカーが各ブースにわかれ、米兵愛用のカメラを次々と点検修理していった。サービス日は一日だけだったので、30名位の行列が一日中続いたそうである。ファインダー内のゴミを取り除く程度の簡単な掃除は3分以内に終わるそうで、その場で行われて行く。大半はこの程度のメンテナンスで済むが、中には重傷の物も有り、持ち帰り修理する事になった。カメラメーカーはこうした期会に自社のアフターサービスの優位性を誇示し、今後の米軍正式採用を目論んでいた。他のメーカーは、内地から泊りがけで技術者を呼び寄せていたが、ヤシカは違っていた。ヤシカカメラの修理は、光精堂主人、又吉信光氏に一任されたのである。
主人は、あれは面白かったと回想する。
 敗戦国国民であり、戦後のアメリカ支配に様々な問題を抱えた沖縄。日常生活でも色々と苦汁をなめさせられていた一沖縄県民が、一時的にせよ、米兵に対して優位に立った瞬間であったのである。
持ち帰りになったカメラは、翌日までに修理を終える約束になっている。30台程を作業台に一列に並べて徹夜の作業が続いた。
「あの頃は若かったから、一日で何とかなったさー 今はもう出来ないねー」
と、なつかしそうである。
修理は全て無料であったそうである。主人に対する報酬は、ヤシカ側から支払われた。内地の人間は、ヤシカカメラを二流とは言わないが、一流であるとは思っていない。カメラ好きな日本人は、ニコン、キャノンに対する信仰が厚く、その他のメーカーをどこか見下した所がある。一方ブランドをあまり気にせず、合理的なアメリカ人は、安く高性能ならばなんでもよい。そんな理由で、沖縄の米兵に最も愛されていたカメラはヤシカであった。
実際ベトナム戦争当時の記録フィルムを丹念に分析してみると、戦地で使用されていたカメラが、必ずしもニコン、キャノンばかりではないことの気づく。むしろペンタックスやヤシカなどの方が、目に付く。米軍に正式採用されたメーカーは、ニコン、キャノン、トプコンなどであった。しかし実際の戦場では、使える物は何でも使ったと言うのが本当の所なのである。米軍正式採用のニコン、キャノン、トプコンは、米軍所有の刻印があるため、中古市場で人気があり高値で取引されている。
 店主はつづける。
「カメラがオートフォーカスになってから、直らなくなったね。昔の機械はファインダープリズムを取り出すのに3分位で済んだよ。今のカメラは何十分もかかってしまう。ユニットごと交換なら数分なんだよね。直すように作ってないサー。聞いた話だと、カメラの中身は4千円位だって。交換で1万円以上取ればもうかるもんねー」
店主はどこか悔しそうな表情を浮べる。
私は言った。
「直しながら長く使うのなら、昔の物の方がぜったいにいいよね」