動物機械(アニマルマシーン)
イギリスで起った産業革命以後、次第に機械化されてゆく周囲の環境に対して、人間がどのような関係を持つようになったかについて、とくに良い例証となり密接に関係する2.3の論点を述べる。
新たな機械的創造物(機織り機や最期の自動車、機関車、蒸気機関の事である)が、人間ばかりでなく動物にまで取って代わることになった。そこで起こった事は動物たちにとって一種の解放だったという事も出来るだろう。狩猟のための犬、荷役や乗る為の馬、 荷をひかせるための雄牛といったものが、すべて必要なくなったのだ。と同時に、皮肉にも新たに生じた自由によって、彼らはやがて絶滅はしないまでも、時代遅れの存在となってしまったのである。運がよければある種類の動物たちはペットやスポーツに使われるべく改良、生き延びることはあったが、生産的な活動にとってはもはや用済みになってしまったのだ。動物および人間になり代わった機械自身もやはり、交換可能な部分から成り立っていた。さらには、機械は機械自身の部品を作り(自己再生と言う意味でなんと生物的であろうか)別な機械を作るために使われることがますます多くなっていった。機械旋盤と組立てラインの登場である。
この主題は様々な形をとるが、代表的な一例をあげよう。
ヘンリー・フォードは自分の自動車工場を建設する際、その設計の一部を精肉包装工場から借りてきたのである。作家のE・L・ドクトロウがこのことを小説化しているが、それによればフォードは、
「自動車の組立てにおける作業の工程を、単純きわまりない段階にまで分けて、どんな馬鹿でもこなせる仕事にするという考えを思いついた。一台の車を作り上げる何百もの作業を一人の人間に習得させ、あちらこちらと歩き回って材料表全体から部品を取り出させるかわりに、彼をひと所に立たせて一つの仕事だけを繰り返し行わせ、部品の方がベルトに乗って彼の前を流れてゆくようにすればどうだろう」
ドクトロウはその成果を次のように述べる。
「彼(フォード)は再び腕時計を見た。・・・・・・その車がラインの出口をすべり降りてからぴったり6分後まったく同じ一台が出口に現れ・・・・・・すべり降りると、前の車の後部にどんと突き当たった。彼は今、彼以前のどんなアメリカ人(トマス・ジェファーソンも例外ではない)が味わったよりも、大きくて強烈な感動を経験していた。彼は機械に際限なく自分自身を複製するようにさせたのだ。」
自動組立ラインで働く人間にどの様な影響をおよぼすか、チャーリー・チャップリンの不朽の名作「モダン・タイムス」に描かれた。この映画の中、他のどの場面よりも多くの複製が作られたひとコマの中で、チャップリンは巨大な時計の針に必死にしがみついて、それを止めようと空しい努力をしている。だが現実の組立ラインは何千そして何百万台と車を作り続け、と同時に判で押したような機械的な人間を生み出していった。付け加えて言えば、自動車は先述したように馬やロバやラクダその他の荷役獣ばかりでなく、いわば何百人もの人間の脚にも代わったのである。そうなる事によって、車は人間の一部になったと言えるのである。
以上叙述した通り、機械そのものが将来どのように発達してゆくかを予測するには、進化論的な文脈を確定することが重要である。進化論的な見方は普通、現代人の世界観全体を形作っており、教育を受けた科学者は言うに及ばず一般の人ですら、人間をも含めた、諸動物を理解するには、それらを進化の段階に位置ずけなければならないということに反対する人はほとんどいないのである。