吉田美統(よした みのり) 1932年7月7日 -

金沢新幹線開業目前となり世の中は金沢の話題でもちきりである、最近は毎日のようにマスメディアで金沢関連の番組が放送される。
デパートでも金沢物産展があちらこちらで催されていて、淡盛会で4月10日有志10名による金沢旅行を控えたわが身としては心中穏やかでない。
先日神田店営業の帰り日本橋三越で開催されている金沢展を訪れた。
七階の催事場で展開する工芸品や食品、地酒などのコーナーを楽しんだ後、六階美術部で催されている九谷焼の人間国宝、吉田美統先生の作陶展を訪れた。
写真の図録を購入していたところ幸いに先生から御声がけ頂き「私は先生の若かりし頃に製作された青粒手の盃を愛用している」旨を御話した。
そして恐縮しながら図録にサインをお願いすると快く応じて頂きました。
私としてはもうすっかり金沢へ行ったような気分になり気分爽快ですが、改めて考えてみれば、ここが日本橋三越の凄い所で私達が普通に金沢旅行をしてこの様な機会に巡り合えるとは思えません。
加賀文化の真骨頂に日本橋だからこそ触れられたのです、これが東京と言う街の凄さであり怖さなのです。







青粒手↑  釉裏金彩赤絵↓


吉田美統(よした みのり) 1932年7月7日 -      byウィキペディア
石川県小松市出身。生家も作陶を生業としており、九谷焼独特の赤絵金襴手(きんらんで)を継承していた。美統も高校在学中から陶芸技法を学び始め、卒業後1951年に家業である錦山窯の三代目となり、九谷の伝統的な絵付け等の技法を習得。1962年には武蔵野美術短期大学の特修生として工芸デザインを学んでいる。釉裏金彩技法を用いた加藤土師萌の作品に出会ったことをきっかけに、自らの作陶にもその技術を取り入れる事を決意する。
九谷伝統の色絵具をかけた素地を本焼きして地色とし、その上に二種類の金箔を文様に切り取ったものを載せて焼き付け、更に仕上げとして全面に透明な釉薬をかけて焼き仕上げる。その1つ1つの行程に於いて独自の研究を為し技術の洗練度を高めた。
1970年、日本万国博覧会に石川県の代表として「百人一首大花瓶」を出品。1974年に日本伝統工芸展に入選後、同展では高松宮記念賞(1992年)、日本陶磁協会賞(1995年)、日本工芸会保持者賞(2000年)を受賞。1979年には釉裏金彩鉢が外務省買上作品に選ばれるなど評価が高まってゆく。釉裏金彩の第一人者として2001年7月12日に重要無形文化財保持者に認定され、同年紫綬褒章を受章した。
2006年現在、財団法人石川県美術文化協会理事を務めている。
   2015-3-6