芳町芸者

芳町を含む現在の日本橋人形町周辺はかつて「元吉原」と呼ばれる遊里(遊廓)が設置され繁栄を極めていた。しかし、江戸市域の拡大により浅草に移転し、代わって中村座をはじめ歌舞伎の芝居小屋が立ち並ぶようになった。それに随時して陰間茶屋が生まれた。その後の天保の改革で深川から逃れてきた芸妓が移り住み、芳町は芸妓の花街となった。幕末から明治、大正、昭和にかけて繁栄を極め、日本で最初の女優となった川上貞奴や芸妓から歌手に転向した勝太郎ら名妓を輩出した。第二次世界大戦による営業停止、東京大空襲の被害を乗り越え花街は昭和24年(1949年)、芸妓278名、置屋177軒、料亭、待合あわせて121軒で復興された。しかし、高度経済成長期後は衰退し、昭和52年(1977年)の町名改正で町名としての芳町が消滅、芸妓、料亭は減少し、2010年(平成22年)現在、料亭は『濱田家』ただ1軒となり、芸妓16名となった。それでも、久松をはじめ少数の芸妓が花街の伝統を守り伝える努力をしている。
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ウィキペディアでお伝えしているように人形町の料亭文化を今に伝える唯一の料亭濱田家にて芳町芸者をお迎えしました。
粋でいなせな仲間の旦那衆を交えての懇親会です、今回は来なかったウィキペディアでも紹介される久松姉さんは写真のみのご紹介。









右 久松姉さん 左 おひろ姉さん↑























      2017-4-28