柳田国男と考古学

私は柳田国男の民俗学を大きく誤解していたと思うので国立歴史民俗博物館で催されている「柳田国男と考古学」展を紹介しようと思いました。
遠野物語を代表とする柳田の研究は昔話としては面白いと思いますが、これのどこが学問なのか今まで良く解らなかったからです。
柳田の著作と絵本の日本昔話のいったいどこが違うのか?、河童の話も座敷童の話も私たちは学問としてではなく童話として聞いていました。
ところで歴史学は簡単に言ってしまえば私たち日本人はどういった人々で、どこから来てどこに向うのかを学問的手法で解明しようというものです、柳田は言います「歴史学は人が自己を見出す為の学問だ」と。
その為の細分化された手法として考古学や史学がある訳ですが柳田はいずれも日本人を十分に語るには不足するものがあると考えていました。
考古学は発掘品から考古する訳ですが土中で腐らないものに偏り柳田に言わせれば考古学者は土器好きで焼き物に偏りすぎていると、史学は残される文章から考古するが文字のない時代には有効でないし、歴史書はいつの時代も勝者の歴史だと。
そこで柳田は本当に日本人を知るためには人々の営みの中に隠された風習や伝統、祭礼、言い伝えなど生活に息づく伝承を精査すべきだと考えて民俗学を誕生させたと言うのです。
民俗学は考古学や史学では扱えない部分を補完する歴史学と言えることになります。
それでは河童の話や座敷童の話は日本人のどういった部分を象徴的に表しているのでしょうか、これについては私なりの考えがありますが皆様に披露するほどには熟思されたものではありません。
さてそんな考古学嫌いの柳田が考古資料を多く保管していたことに驚いた柳田の研究者が企画展示するのが今回の「柳田国男と考古学」展なのです。
ある時期、柳田は考古学に裏付け的な救いを求めた時期があったようです。
























































   2016-7-17