上の写真は瀬戸焼の馬の眼皿です。 江戸時代後期に量産品として焼かれるようになりました、馬の眼の愛称は明治時代になってから民芸運動の重鎮達によって命名され広く愛好家が出現しました。瀬戸の馬の眼皿は骨董愛好家の間で高値で取引されています。 下の写真は仮説ですが馬の眼文様の基になったと考える中国は元時代の壺。 何に使われた物か皆目見当が尽きませんが大量に焼かれたと思われます。 その幾つかが日本に渡り幕末の瀬戸の陶工の目に留まったのではないでしょうか。 2020-4-23