中国製カメラ
 小谷氏現役の頃、1960年代物の中国製ライカコピーカメラを修理されていた事がある。
氏、日く。
「いや、これはひどい、思った以上。バラしたら元に戻すのが大変だよ。戦後間もない頃の日本製もあまりよくなかったけれど、これ程じゃないね。ひどすぎる。もう一週間もやっている、直りきらないから、こんな所でカンベンしてもらうよ。」
氏はライカ並の操査感想を実現するべく、調整を続けていた訳だが、どだい無理な話である。中国製カメラはどんなに追い込んだ所で、それにこたえるポテンシャルを有していない。氏の実直な職人魂が挑戦に駆り立てているのであった。
2年程前の話なのだが、氏はこの数ヶ月後カメラ修理業をやめた。“そろそろ年貢の納め時”と時期をみはからっていたが、この中国製カメラが幕引きのキッカケだろうか?いやいやそんな事はない。氏の50年以上に渡るキャソアの最後の仕事がこんなゲテモノであるはずはない。実の所、私のレオタックスS型がこの中国製カメラの後にひかえていたから。
※この中国製カメラは有名なカメラ評論家の持ち込んだ物なのだが、図らすも年寄りをイジメる様な形になってしまった事は残念である。
そんな訳で私は中国製カメラにあまり良いイメージを持っていない。更に印象の悪い話がある。1997年に社員旅行で上海に出掛けた。フリータイムのある日、私は息子と上海の目抜き通りでカメラ店巡りの散策を決め込んだ。すると“中国最古のカメラ店”なる大きなカンバンを目にしたのである。嘘か本当かは知らないが、確かに漢字でそう書いてある。迷わず入店した。そこで一番安い中国製一眼レフを見せてもらった。20年以上前の設計で、今も造り続けられている。共産国ならではの工業製品である。なんとも味わい深い。ゴリゴリした操査感覚はかえって新鮮である。シャッターも調子がいい様だ。次にセルフタイマーのチェックをする。順調に作動を始めた。シャッターボタンが最大に引き込まれてシャッターが落ちる。そしてテンションが解放されたつ次の瞬間シャッターボタンが根本から空中に発射されたのだ。店内のいずこかへ。私と店員はボーゼンと目を合わせる。息子は弾道を追って店内をチョロチョロしている。(今では私と同じ体格だが当時はチビだったよなー。)店内は笑いに包まれ、実になごやかな雰囲気になった事は言うまでもない。私と中国小姐の間に友情が生まれた瞬間であった。中国カメラがとりもつ縁である。小姐は、店内から探し出されたシャッターボタンを、元の場所に差し込むと。満面の笑顔でこうのたまった。
「ダイジョウブ、ダイジョウブ」
「???....ハッハッハッ....」
私。
店内が更に大きな笑いに囲まれた事は言うまでもない。驚いた事に私はこのカメラを買った。日本円で4000円弱(レンズ付きですよ)。ま、4000円なら旅の思い出にいいんじゃないの。
2001年12月私はインターネットで最新型の中国製一眼レフシーガルを見た。13,800円である。相変らず安い。そして今とても驚いている。目を疑う程の品質向上である。ハッキリ言う。部分的には今や日本製に比べても遜色がない。トータルでは今だ日本製の足元に及ばないが、価格を考えたら立派な物なのである。MADE IN CHINA、力を付けました。今や世界の工場ですものね。ここ4・5年の進歩は目を見張る物があります。
カメラを例に取りましたが、これが今の中国の実力なのです。
地方に本社を構える日本の中堅のレンズメーカーの社長さんのお話です。
「2年前はバカにしていた。1年前は青くなった。そして今年はやめようかと思っている。」