妻籠宿

妻籠宿(つまごじゅく)は、中山道42番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡南木曽町。蘭川(あららぎがわ)東岸に位置する。隣接する馬籠宿(岐阜県中津川市)と、馬籠峠を越える旧中山道史蹟と合わせて木曽路を代表する観光名所として名高い。
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、妻籠宿の宿内家数は31軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒で宿内人口は418人であった。
経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中、いち早く地域を挙げて景観保全活動に取り組んだことが評価され、1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つに選ばれた。
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国道256号沿いの中央駐車場から宿への入口に架かる橋
川を渡ると旧中山道、妻籠宿である。



橋を渡ってすぐ左の店はネズコ下駄の専門店。ネズコとは木曽五木の一つ、足に馴染みやすく、丈夫で軽量です。

地域の定番、信州そば店は写真の店以外にも沢山有ります



妻籠宿に一軒ある酒屋、地酒の中乗りさんなどがお薦め









上嵯峨屋
町並み保存運動として建物の解体復元が行われて来た妻籠宿。上嵯峨屋もその一つで江戸中期に庶民の木賃宿として使われていた建物を昭和44年に解体復元したもの建物中央に土間が通る中土間形式というめずらしい造りが特徴な、貴重な造りの上嵯峨屋。また北に100mくらい進むと見えてくるのが下嵯峨屋。江戸時代の庶民の住宅で当時の生活道具も展示されている。



蘭(アララギ)桧傘は寛文2年(1662年)に飛騨の落辺から来た人によって技法が伝えられたもので、当時は笠の需要が多く耕地が少ない蘭の主要産業となっていました。
戦後は生活様式が変化し需要が減ったが、現在も伝統技術による手作りの良さが見直されて妻籠宿、馬籠宿の観光客や、御岳山の登山客等を中心に実用笠や飾り笠として根強い人気を保っています。
*桧笠は、昭和57年10月21日に長野県伝統工芸品に指定されました。
南木曽町観光協会HP



地域の名産品である木製品が充実している







下嵯峨屋は江戸時代中期の建物で江戸時代は妻籠宿で旅籠を営んできました。木造平屋建、切妻、平入り、板葺き石置きで軒が低く抑えられ当時の建築様式を良く残しています。内部は向って左側が土間で右側の手前が囲炉裏付きの板間、その奥に畳敷きの6畳間があり小規模な町屋の生活がうかがえます。
長野県観光ナビ



























木曾は栗の美味しい所、和菓子店では栗饅頭がお薦めです





絵馬の伝統を現在の民芸品として再利用している木曽駒は開運祈願の縁起物

縁起の良いお好みの四文字熟語を三つ書いてもらえます



木曽馬(きそうま)とは長野県木曽地域(木曽郡)を中心に飼育されている日本在来種の馬である。岐阜県飛騨地方でも飼育されている。
日本在来種は他に北海道和種(北海道、俗称:道産子)、野間馬(愛媛県今治市野間)、対州馬(長崎県対馬市)、御崎馬(宮崎県都井岬)、トカラ馬(鹿児島県トカラ列島)、宮古馬(沖縄県宮古諸島)、与那国馬(沖縄県八重山諸島)がいるが、本州の在来種は木曽馬のみである。
一時絶滅寸前であったが木曽馬保存会が中心に活動が行なわれた結果、飼育数は増加した。しかし以前のような乗用、農耕を目的とした需要はなく、現在は200頭以下という。
平安時代〜江戸時代、武士の馬として使用された。
起源ははっきりしていないが、元々は蒙古の大陸系の馬である。一説では紀元前1世紀の漢で改良された「蒙古草原馬」が2〜3世紀、朝鮮半島経由で渡来したという。この馬が木曽地域という山岳地帯で飼育された影響で、木曽馬となったとされる。
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      2012−9−18