トランプ フレックス
トランプ フレックス、それはリコーフレックスB型の基になったカメラである。
もっとはっきり言ってしまえば、リコーフレックスB型はトランプフレックスのデットコピーなのである。ここに前出のマスミフレックスを加えれば海を越えた親子三代に渡る大河ドラマが見えて来る。
(トランプフレックスは1935年ドイツで誕生した)
以上の3台はいずれも二眼レフと言われるスタイルのカメラである。
二眼レフは1929年フランケ・アンド・ハイデッケ社がローライフレックスで創造したスタイルのカメラでその扱いやすさから、一時代を築いている。
日本でも1950年代頃まで、カメラといえば二眼レフを示す時代が 続いていた。
ローライフレックスは世界中でコピー機を生んだ。
35mmカメラで有名な同時代のカメラ、ライカも世界中にコピー機を生んだが、その数はローライフレックスの足元にもおよばない。2桁違う量のコピー商品を生んでいるのである。
それだけ基本設計のすぐれたカメラであった訳だが、同時に比較的作りやすい構造であった事が大きいのだろう。
(日本などは 100社に近い数のローライフレックスのコピー機メーカーがあったそうである。ミノルタ・オリンパスなど現在に続くビッグビジネスから 数人で造った町工場まで様々である。)
そんな中にあってトランプフレックスはオリジナリティーを追求した二眼レフになっている。ドイツは変質的な程、他社製品をまねしない国民性を持っている。少しは妥協したらよさそうなものにとこちらに思わせる位マネをしたと思われる事をさけ、実際 マネをしない。その為にコスト高になっても、作りずらくなってもこわれやすくなっても、バカデカくなってもである。したがって ライカにしてもローライにしてもそのコピー機にドイツ製はない。他のほとんどすべての工業国にコピー機が存在すると言うのにである。トランプフレックスは このあたりうまくやった。コピーを脱してオリジナリティーがあり、なおかつ廉価版二眼レフとしての合理性をも持ちあわせていた。ブリキ作工のカメラであったが、よく写りかなりの数が売れたようである。いくつかのバージョンがある事も それを裏付けている。このトランプフレックスは極東の軍事大国日本の理研光学によって1940年デットコピーされよく売れた。太平洋戦争勃発一年前の事だったので短命に終わったが、戦後の傑作リコーフレックスV型の母体となった。
リコーフレックスV型は戦後のカメラ大国日本を考える上で、一つの試金石になったカメラである。
リコーフレックスV型の大ブレイクはその後のカメラ業界にはかり知れない影響をあたえている。
V型の名称でわかる通り 戦後リコーはB型に改良を加え トランプフレックスのデットコピーを脱している。
そしてこんどは このV型が日本中でコピーされる事になるのである。
さてB型の金型一式はどうなったのであろうか、もはや必要ないそれらの金型は なんらかの理由でマスミフレックスを作ったメーカーに流れたのに違いない。リコーフレックスB型とマスミフレックスを現物比較してみれば まぎれもなく同じ金型で作られた事が解るからである。あるいは金型を譲り受けたのではなく 戦前すでに作ってあった 打ち抜き後の部品をマスミフレックスが入手し それらの部品を使って作ったカメラかも知れない。
いずれにせよ この二台のカメラは同じ金型から作られているのである。
 
このマスミフレックスが 日本のカメラ史に足跡残さなかったのは、残り物の部品で、ごく少量つくられた為だった可能性がある。