帝 国 製
 戦後、日本のカメラブームは、リコーフレックスV型によって、引き起こされたと聞く。当時、破格の安価で発売された、この二眼レフはまたたく間に、人々の心をつかんだ。戦後、最初の大量生産工業製品と言ってよい。ピーク時には、月産2万台を数えた、文字通り大ヒット商品である。(最終的に120万台あまり製造された。)今日のリコーの屋台骨を作ったこの二眼レフは、同時に雨後の竹の子のごとく、大小の二眼レフメーカーを創設させている。そのほとんどは、独製ローライコードのコピーであった。そんな中、このリコーフレックスV型も多くのコピー製品を生んでいる。瓜二つの物から、多少個性を持たせた物まで数多いが、いずれも本家リコーフレックスV型を凌駕する物ではなかった。
 こうしたコピー製品の中に、一つ面白い物を見つけた。リコーフレックス7型のデットコピーなのであるが、その製造国がエンパイヤーメイドとある。これは直訳すれば、帝国製と言うことになる。製品名は、ハリナフレックスとなっている。本機はリコーフレックス7型のデットコピーであることに間違いはないから、1956年以後、数年以内の製造であろう。まさか、今はやりの暗黒帝国製ではあるまいが、案外ダースベイダーが持ったら似合いそうな気がする。このような理由から、暗黒帝国製ではなかろうかとするには、少々説得力にかけるので、この時期、地球上に帝国と呼べる国家の有無を調べてみた。該当する国家を見つけ出す事は出来ない。そこで、本機の様な物を最も造り出す可能性が高い国家として日本を上げる。これには一つの決定的な理由がある。ハリナフレックスは、一部やはりリコーフレックスのコピー機である、シルバーフレックスの部品を使っているのである。これはもう、シルバーフレックスの輸出バージョンであると結論したくなるのだが、それにしては他の部分のキャラクターがあまりにも違う。リコーフレックスも、シルバーフレックスも、鏡胴回りの材料はアルミニウムであるが、ハリソナフレックスはたぶん黄銅で、そこにぶ厚いクロームメッキが施されている。このメッキの厚みは、他に類例がないほどで、50年代のアメリカ車のバンパーほども厚いと言ったら的確であろう。この事が、リコーフレックスのコピー機でありながら、強烈な個性となって面白い。不敵に黒光りする本機は、本当にダースベイダーの持物であったと言ってしまいたくなるほどだ。しかし冷静に考えれば、やはりシルバーフレックスの輸出バージョンであると言うのが、妥当である。ピカピカのクロームメッキ好きなアメリカ人に向けた、経営者の知恵であったかも知れない。それにしては、なぜエンパイヤーメイドなどと訳の解らない刻印をしたか。アメリカではエンパイヤーステートビルが有名だから、と言う無邪気な発想であろうか。こう言った事を厚顔無知と言う。


 2000年にあと数日の夕暮、私は例によって銀座界隈に出没していた。クラシックカメラ店の新しい名所、レモン社へ向う。このカメラ屋は、既存の老舗に比べれば、ここ数年の新参者なのであるが、それゆえに、他社とは差別化した商品構成に魅力を感じる。読者諸君は、ライカの並行輸入業者から、正規代理店への華麗なる転身が、印象深いかも知れないが、クラシックカメラ売場の方が、私には大切である。
 思い返せば、このレモン社は10年位前には、ただのDPE屋であったように記憶する。それがいつのまにやら、今では銀座でも一、二のライカスポットなのだから、たいしたものである。この日、ここで私はハリナ35と言う聞きなれないカメラを目にした。いやいやハリナは前出のフレックスで聞きなれているのだから、ここは目なれないカメラ、と言うのが正解であろう。
「しまった。はめられた。」
超レア物を手に入れたと思っていた物を2度目に見つける時、必ず頭をよぎるフレーズである。短期間の内に2度目にする物は(短期間と言っても中1年である)経験から言ってかなりタマ数が有る場合が多い。年がら年中銀座界隈を歩いている訳ではなし、確率論的に言っても、この数倍から数十倍市場に出回っていると考えた方が妥当なのである。前出のハリナフレックスがあまりにも個性的な出立ちだったので、つい一方的自己完結型思考回路が起動してしまったらしい。事情通であれば滑稽な程の自己満足である。私はなにはともあれ、このハリナ35を購入する。Made in Hong Kong とあるではないか。日本製のパックス35のコピー機で、35oカメラである。例によって、キンピカのクロームメッキだ。私はこの分厚いクロームメッキは、アメリカ輸出用の経営者の知恵と結論づけたが、なんのことはない、感性の違う香港人の気まぐれだったのである。古今東西研究者のおちいりやすいワナだった訳である。これを「少数例からの帰納」と言う。あまり誉められた事ではないのである。
 こうなって来ると、ハリナの3文字は過去にどこかで必ず聞いた事が有るはずだ。旧型のメモリー回路がフル稼働して数日、おぼろけながら、そして確実にある種の核心を得る。あとはコミットメントするだけだ。私は狙いをつけた。1981年出版の、世界カメラ大図鑑に1ページづつ丹念に目を通す。あった。ハリナMW35E ハッキン社(ホンコン)。以下カメラ大図鑑より。
 ハッキン社(W.Haking Industries)は、ホンコン最大のカメラメーカーで、35oカメラの他110カメラ双眼鏡など多種の製品を生産している。MW35Eはストロボ内臓、モータードライブの35oビューティーファインダーカメラで・・・・。
もういい。判った。厚顔無知は私でありました。