田中時計店
月に一回 田中時計店に 顔を出す日が続いている。
この時計店は葛飾シンフォニーヒルズ前のバス通りを50m程青戸駅よりに在る。なぜ月一回の田中時計店巡りなのか。店主が月一台のペースで古い(おそらく1960年代)目覚まし時計の売れ残りを分解掃除しておいてくれているのである。私はこれらの時計を一律一個3000円で譲ってもらっている。
どこかなつかしいデザインの時計が我家でこつこつと増殖をつづけているのである。
“町の小さな時計店”かつては商店街に必ず一つは在った。
いつしかその役割をおわれ人々の思い出からもその姿を消しつつある。機械時計が消滅している今、彼らの(みんな初老のおじいちゃんだ)技術を活かす場もかつてほどはない。たいていの店は店先に2畳程の作業場があって年期の入った道具達が整然とおかれている。
田中時計店ではこの作業机に特殊な改良をほどこしてコタツにもなっており冬の作業でも快適なようだ。
店主はいつもゴロリと横になってテレビを見ている。奥様はかたわらで座っておられる。
私が顔を出すと御主人がやおら立ち上がりあわただしく店の電球を入れる。その間に素早く奥様がテレビのスイッチを
切るというパターンがここ数回続いている。いよいよ今月の時計の披露である。たいていは精工舎の物であるが、まれに東洋時計や東京時計などの聞きなれない物が出てくる。
私がこの時代の時計やカメラが大好きなのはたんなるノスタルジーやデザインの面白さからだけではない。この時代の日本製品が共通してもっている「一生懸命」が大好きなのだ。戦後の焼野原からようやく立ち直って、自国の製品を輸出、少しでも多くの外貨を勝ち取ろうとするある種の気迫が大好きなのだ。実際このころの物には金色シールや印刷で「品質世界一」だの「高品質輸出奨励賞受賞」だの
なにかしら伯をつけようと気合充分なのだ。私はこの金色シールに今の日本人が忘れていまっている何かを見つけてしまっている。
せめて仕事にだけはかつてのようなハングリー精神を持ち続けたいと感じているのは私だけではあるまい。
カッコウばかりつけている場合ではないのである。