職人の造ったカメラ
2001年の正月番組「日本の職人」は、なかなか見ごたえのある番組であった。
古来より伝わる伝統工芸的な物から
昔ながらの手法で造られる身近な生活用品まで、幅広い取材が共感を生む。数百万円以上する工芸品ならば、子孫代々受継がれて当然だが、日曜雑貨にも隠れた名品が存在する様である。
刀鍛冶や陶芸家の様に、社会的に地位のある職人はそれなりに風格ある体裁であるのに対して、紙漉き職人や、七輪造りの名工達は共感を呼ぶ風貌に見えた。町工場の町、葛飾区青戸で育った著者独特の感性かも知れぬ。
昔、町のあちらこちらにいたおじさん達の顔がなつかしく思い出されたのである。前出 小谷カメラ修理店の店主もこんな風貌の持ち主である。
図らずも息子が
「小谷のおじいちゃん出ないかな」と言った。
このテレビを見ながら、同じ事を感じている様であった。
一つの物を実直に作り続ける事は、実はそれほどむずかしい事ではない。需要があれば、むしろ簡単な事である。しかし、その需要が問題である。ほおっておけばその需要は、技術革新の波に洗われ、いずれは必ず消滅する。工業製品や工芸品の多くは、この需要の消滅によって世代交替または、技術移転が起きてしまう。たえず需要を喚起しなければ、また新技術の導入を行わなければ、伝統はいつか必ず途絶えてしまうのである。比較的のんびりしている様に見える食品産業においても、この方程式の例外ではない。
小谷氏の勤めていたレオタックス(昭和光学)は、木造平屋、土間の工場に当初30名程の職人がいた。全員が一台のカメラを最初から最後まで組立てる事が出来る、熟練工達ばかりであった。戦後間もない時代では、部品の一つ一つに精度のバラツキが有り、ヤスリ掛けなど調整されながら組立てられる、文字通りの手造り品である。
この職人達の風貌と物腰を、今日TVで見た職人達とイメージを重ね合わせる事は、それ程難しい事ではないのである。