隅田川東岸の老舗 三囲神社(みめぐりじんじゃ)


三囲神社が老舗と言うのもおかしな話ですが日本で指折りの老舗百貨店ゆかりの神社と言う事で御紹介しました。
神社を訪れれば狛犬ならぬ皆さんよくご存じのライオン像が御出迎えです。
三囲神社の起源はネット上に以下の様に紹介されています。
「創立年代は不詳。伝によれば、近江国三井寺の僧源慶が当地に遍歴して来た時、小さな祠のいわれを聞き、社壇の改築をしようと掘ったところ、壺が出土した。その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐に跨った老爺の神像があった。このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを3回回って死んだ。三囲の名称はここに由来するという」









さて老舗百貨店とは日本橋三越の事で三井家ゆかりと言った方がより正しいでしょうか、その御縁を三井家は次のように言っています。
「三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。理由は、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったことと、三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられたため。社域の一角には没後100年を経た三井家当主たちを祀った「顕名霊社」がある。三井グループ各社の総務部によって三囲会が組織されており、年に4回代表が一堂に会し祭典を催している。閉店した池袋三越前にあったライオン像も寄贈されている」













こちらも越後屋ゆかりの御狐様



















石亭も綺麗ですし多くの有名処と御縁のある立派な神社ですが庭園の一角には歌川 国貞の墓表も有ります。
歌川 国貞とはあの有名な「東都三又の図」を描いた浮世絵師、経歴はウィキペディアによれば
「歌川 国貞(うたがわ くにさだ、天明6年〈1786年〉 - 元治元年12月15日〈1865年1月12日〉)とは、江戸時代の浮世絵師。のちの三代目歌川豊国。
武者絵や、ユーモアにあふれた戯画で知られる奇才
幕末の奇想の絵師」として注目され世界中から評価されています。しかし、同時代に活動した葛飾北斎や歌川広重らの人気絵師に比べ、日本における知名度や評価は決して高くはありませんでしたが画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、確実なデッサン力を持ち、浮世絵の枠にとどまらない広範な魅力を持つ作品は再び評価されることとなりました」

東都三又の図



いわゆる歌川派の皆さんによって建立された碑なのですが、その面々が凄い。
月岡芳年 落合芳幾 歌川芳藤 水野年方 鏑木清方 伊藤深水 岩田専太郎などの名前が見受けられます。



   2015-1-28