白水阿弥陀堂

仏教美術がその頂点にあったと思われる平安時代。
東北唯一の平安仏は重要文化財、白水阿弥陀堂は国宝です。
定朝の作を思わせる慈悲深い御姿を拝見するだけでも来たかいがありました。
平安仏は写真撮影不可、お姿を紹介できないことが残念です。

以下はウイキペデア

白水阿弥陀堂は、平安時代末期の1160年永暦元年)に、岩城則道(岩城氏の祖)の妻・徳姫(藤原清衡の娘)によって建立された。徳姫は、夫・則道の菩提を弔うために寺を建てて「願成寺」と名付け、その一角に阿弥陀堂を建立した。明治時代も後半に入ると、貴重な文化財を保護しないことを諸外国から非難されたり、西洋列強に仲間入りするためには文化や歴史を大切にする国に成長する必要を感じた政府は、明治30年(1897年)古社寺保存法を公布し、一転して歴史的に貴重な建物を保護するようになった。明治35年(1902年)には白水阿弥陀堂は平安時代後期の優れた建造物である事が認められ、その年の7月に白水阿弥陀堂は特別保護建造物の指定を受けるに至った。

阿弥陀堂は方三間の単層宝形造で屋根は柿葺。堂内の壁板には壁画が描かれていたと思われるが、現在は一部に僅かな面影が残っているのみである。内部には阿弥陀如来像を中心に、両脇侍の観世音菩薩像と勢至菩薩像、ならびに二天像(持国天像、多聞天像)の5体の仏像が安置されている。東北地方に現存する平安時代の建築は、岩手県平泉町中尊寺金色堂宮城県角田市高蔵寺阿弥陀堂、当堂の3ヶ所のみである。

また、阿弥陀堂は東・西・南の三方を池に囲まれており、正面に当たる南から中ノ島を経由して御堂にいたる参拝道が設けられており、更に北・東・西は山で囲まれており、阿弥陀堂を中心としたこれらの空間は、正に平安時代末期に盛んだった浄土式庭園の様を成している。これらの構造は、徳姫が奥州藤原氏の娘であることも手伝って、毛越寺無量光院といった平泉の寺院の構造に影響を受けている。実際に「白水」という地名は、平泉の「泉」という文字を2つに分けた物で、岩城氏の本拠地であったという地名の由来も平泉の「平」を取った物だという説がある。

阿弥陀堂はその後、後鳥羽上皇により勅願寺とされた。江戸時代には、徳川将軍家より寺領10石を与えられるなど、歴代の為政者に保護され、現在に至っている。

毎月第4水曜日(12月は第2水・木曜日)は休みとなり、橋を渡って境内に入ることが出来ない。

2011年3月11日に発生した東日本大震災による損傷を受け、阿弥陀堂の拝観が中止されたが、2012年7月に修復が終わり再開された。また、同時に損傷した所蔵の阿弥陀如来坐像と持国天像が京都に送られ修復作業が行われた。
































      2018-2-14