春風萬里荘

昭和39(1964)年、洋画家朝井閑右衛門と小説家田村泰次郎が、長谷川仁笠間日動美術館前理事長と笠間を訪れた折り、笠間にアトリエを作りたいという作家達の要望から、「芸術の村」の構想がでてきました。
日動美術館は昭和40年に北大路魯山人が住居としていた約300平方メートルの茅葺き民家を北鎌倉より移築し「芸術の村」が開設「春風萬里荘」と名付けられました。
                            以上 「春風萬里荘HPより」

「春風萬里」とは、李白の漢詩にある言葉で、北大路魯山人が好んで用いていました

伝説の料亭「美食倶楽部」の面影と魯山人亭が日動美術館の尽力で保存されています

魯山人は織部焼で人間国宝の推薦を受けていましたがこれを断っています、以後 織部焼で人間国宝の認定を受けた芸術家は今日まで存在しません。
そんな魯山人の織部焼タイル使用の風呂場は春風萬里荘の見所の一つです。
「たかが風呂されど織部焼の風呂」妙な見せ場ですが織部独特の深い緑釉をお見逃しなく。
                          2010−7−20