益子探訪 山水土瓶

焼き物の里として有名な栃木県益子町、その開闢は意外と新く幕末嘉永6年頃大塚啓三郎が農業の傍ら壺や擂鉢を焼いたのが始まりである。
明治期になると山水土瓶が益子焼の名を上げた。
写真は益子焼共販センター近くにある骨董店で入手した山水土瓶、益子焼と言いたいところだがこれは信楽焼の文様の山水土瓶である、実は益子の山水土瓶は信楽の陶工の指導の下に始まっているのである。
こんなものが益子の農家から出てきたと言う事はどう言うことか、店主いわく絵は信楽だが土が益子の物だと言う、つまり信楽の陶工が益子で制作した山水土瓶で極々初期の益子焼山水土瓶であると言う。
もちろんこんな都合のいい話を易々とは信じない、しかし土が益子の物であることは事実だし今後の楽しい研究課題となりそうである。


信楽焼の文様の山水土瓶



益子の山水絵付けで有名な皆川マスの山水土瓶、大皿

                                  2008−11−23