ローレックス
大学4年の夏に、シンガポールへ出かけた。当時(1983年)海外旅行にはまっていて、暇を見つけては、東南アジアの国々を旅行していたのだが、今回は、明確な目的を持っていた。ポルシェデザインの腕時計を買いたいと思ったのである。国内の輸入時計の定価と、海外の自由貿易地域での価格とに、まだ大きな開きが有った頃の話である。今、平行輸入の時計を買う時は、ディスカウントストアーや、大手カメラ販売店へ行くのが一般的であろうが、当時は上野のアメ横が一般的であった。アメ横の持っている、東南アジア的な雰囲気は大好きだが、ここで高価な物を買うのは、同時に冒険でもある。ニセ物が多い事で有名だからだ。そこで、わざわざ旅費を出してでも、香港かシンガポールの有名店で買物をした方が、はるかに安心だし、安上がりと言う訳である。大学院の先輩に、公認会計士を目ざす男がいて、この人の友人が、シンガポール在住の台湾人だと言う。彼をたよっての旅行であった。
シンガポールの友人の名を陳と言う。陳氏は、当時高度成長真っただ中の日本製品をシンガポールで売りさばく事で、大きな利益を上げていた。実際彼は、シンガポールの目抜き通りに、店舗をかまえていて、様々な日本製品を売っていた。
『Made in Japan なら、なんでもよく売れる。』
と、彼は言う。そんな時代だったのである。私は陳氏に
『ポルシェデザインの時計を買いたいのだが、どこか良い場所をおしえて下さい。』
と、言った。彼は不思議そうに
『日本には、セイコーがあるのに、なんでスイス物なんか欲しがるのか?』
と、怪訝な顔をする。日本製クオーツ時計が世界を席巻し、スイスメーカーがバタバタと倒産していた。そんな時代の話である。記憶はさだかではないが、この翌年、オメガもロンジンも倒産したと思う。今のオメガ、ロンジンは、後にSMHグループによって再建された、まったくの別物であるそうだ。
ポルシェデザインの時計をシンガポール中捜し歩いたが、ついに見つける事が出来なかった。自由貿易港として世界に冠たるシンガポールであったが、しょせんは極東、世界の中心から大きくはずれている。こうした話題の商品は、アメリカ、ヨーロッパでのリリースが優先するのであろう。経済大国日本では、すでに出回っていたが、いかんせん価格が高い。私は、あきらめた、と言うと、陳氏は
『ポルシェもいいかもしれないが、時計はなんといってもローレックス。ローレックスなら安い店を紹介する。』
と、言う。私は予算を組んでしまっていた事もあり、ローレックスを買う事にした。連れて行かれたのは、下町のチャイナタウンである。あやしい、あやしすぎる場所だ。上野アメ横を100倍あやしくした位のあやしさである。例によって、多種多様な店が軒を連ねる、雑居ビルである。時計屋のとなりは、漢方薬屋であった。時計店には、ローレックスが、それこそ山の様にあった。
『これ、全部本物なのでしょうか?』
私は、ついつい本音で陳氏に話し掛ける。
『私の友人の店だからダイジョウブ。全部本物ですよ。信じられないでしょうけど、私を信じて下さい。』
『OK』 私は言った。
“陳さんの友人?これまたあやしすぎるではないか”心の叫びである。しかし乗ってしまった舟である。この場で陳氏を信用しない訳にもいかない。エイヤーとばかりに、サブマリーナを買った。初めて買うスイス製腕時計である。帰りの車の中で、私は言った。
『あんなに大量にあって、すごい金額ですよね。』
陳氏は言う。
『彼は大きく商売をしてるから、あそこにある物は、本当に全部本物なんですよ。』
私は、陳氏の表情から、本当にそうなんだろうなと、感じていた。これが、華僑の商売のやり方なのかも知れない。ゴージャスな店構えの大好きな日本人にとっては、カルチャーショックであった。
私は、香港に旅行した際、現地のガイドに華僑とはどんな人達なのかと、聞いた事がある。ガイドは、
『スズキさん、あそこにある屋台のラーメン屋を見て下さい。かどの八百屋を見て下さい。自転車で売りに来るアイスクリーム屋を見て下さい。あれが華僑です。屋台のラーメン屋の息子は、どこかに店を持つかもしれません。孫は、もしかしたらどこかにビルを建てるかもしれません。そのまた子どもは、世界中にラーメンチェーンを展開するかもしれません。これが華僑です。代々に渡って商売をする事が華僑なのです。日本の人は、有名な華僑しか知りません。しかし、今私が話した人達みんな、華僑なのです。』
私は感動して、涙ぐんでしまった。
『OK、そしたら私も華僑です。』
ガイドはにっこりほほえむと、握手を求めて来たのだった。
日本へ帰って、日本ローレックスに今回の時計の鑑定をお願いした。もちろん本物であった事は、言うまでもない。