ロード エルジン
 アメリカン パティックなどと言われる、40年代50年代のアメリカ製腕時計 ハミルトン、エルジン、ブローバーは、その作りの良さから、今でもコアなファンが多い。
 本土に一切の戦禍がおよばなかった。米国は真実上、第二次世界大戦唯一の戦勝国と言える経済的発展を謳歌した。フィフティーズなどと、今に語り継がれる。米国黄金期のまさにその時、これらの腕時計は製造された。この時代の物は、作りの良さもさることながら、最大の魅力は、アールデコ調のデザインにあると言われる。1920年代のマシーンエイジにアメリカでは他国に見られない、独特な建築物、車、列車などの工業製品がデザインされている。このデザインの総称が、らんぼうに言ってしまえば、アールデコ調なのである。
バブルの狂騒の中、エンパイヤ-ステートビルが建ち、クライスラービルが異彩を放つ。大陸横断鉄道は、流線形の蒸気機関車が、時速100km以上で走り抜けた。一方で、チャップリンは、オートメーション工場の一部分になりはて、日夜労働に明け暮れ、ついには発狂してしまう。発展のダイナニズムにあふれながらも、いびつな社会構造は確実にブラックマンデーに向ってつき進んでいたのである。
 戦後アメリカ工業製品のほとんどは、他国にいかなる工業製品と似ていない。20年代の伝統をふまえながら、自国の広大な市場と、他国に比類する事のない、大量の中流階級を生み出していた、アメリカはまさに自国民好みの輸出など微塵も考える必要のない、独自の発展を許されたのである。
 2000年サミットの年、各国の首脳が沖縄に集結した。サミット自体はつつがなく終処し、各国の首脳が自国へと帰るその日、私はテレビに釘づけになった。首脳は、それぞれの専用機でにこやかに帰路につく。那覇国際空港は、一時間ごとの帰還セレモニーにわいていた。大半の首脳は、ボーイング社製 747型機で帰って行ったが、ロシアのプーチン大統領だけは違っていた。名称は知らぬが、ロシア製の航空機である。形状の違いもさることながら、その離陸の仕方の違いに私は目を奪われてしまった。素人目にもあきらかに、アメリカ製航空機や、ヨーロッパ製のエアバスと違う。設計フィロソフィーがまったく異なっている事は、誰の目にも明らかであった。私はこの世には、3種類のものしか存在しないのだと感じていた。1つはアメリカ的なのも、1つはロシア的なもの、そしてもう1つはそれ以外のものである。
1972年まで続いた、米軍の施政から沖縄には古き良きアメリカの面影が今も残る。そんな中の1つに、光精堂の店先に掲げられた看板がある。看板には、エルジン、ブローバー、ハミルトンの文字が踊る。このブランドは、本土でも有名であるが、これだけを看板にする時計店は本土には無い。数年前店主に、一番おすすめな時計はなんですかと聞いた。店主は、ためらうことなく40年代のロード、エルジン、を差し出す。「この時代のアメリカ物は、今の物とは全然違うんだよ。」店主は数十分におよぶ談義に花を咲かせた。