レオタックスのカメラ
40年前、写真工業に次のような広告が載っている。
「しみじみとレオタックスに愛着を感じる秋」
 こののどかなフレーズは、レオタックスのすべてを物語っている。同時代のキャノンやニコンに比べて、レオタックスはどこかひかえめで、目立た無い所がある。よく出来た、作りの丁寧なカメラなのであるが、もう一つ押出しがないのである。これは、この広告当時のDW型から、F型T型K型にいたるまで同じである。
 レオタックスのカメラ作りに関する、小谷氏のお話を紹介する。戦後1947年にDU型、DV型を発売する。このころは、工作機械の不備によって、そうとう苦労したらしい。計算通りに出来ているはずの部品も、組立ての際には必ずどこかに調整が必要で、やすりがけ作業がたえなかった。しかしこの頃は、一台のカメラを最初から最後まで、一人の人間が組立てていたので、案外作りの良い物になっている。氏によれば、気づかれないような場所にこっそり、みんな自分のサインをいれていたそうだ。数年後、修理に戻ったカメラを見れば、誰の作った物か解ったらしい。したがって、腕の良い者、悪い者がはっきりしたという。DW型、S型まで、こういったことが続いた。DW型、S型は、部品の精度も良くなり、仕上りにも高級感が出ている。この後、F型となると、ボディーはダイキャストになり、部品精度はさらにアップした。さらに、組立ても以前より簡単になり、流れ作業による製造が行われている。精度も上り、使いやすくなったレオタックスであったが、ボディーは一回り大きくなっている。ライカはダイキャストになっても、さほど大きなはならなかったが、レオタックスはそうとう大きくなった。精密感が失われたように感じた消費者も多かったであろう。しかし、カメラとしてはとても良く出来ている。設計に無理がなく、どこにも不具合は感じられない。操作感はなめらかで、故障などしそうもない。
このころの技術部長のコメントを紹介する。K型に対する物である。
 「幕速はますます速くなっている現状ですが、衝撃やバウンドなどの問題から、この方面の機構はますます複雑になり、ライカM3のように甚だ大きなスペースを占めるようになります。K型はこの点なるべく機構的に無理をしない範囲にして、使い易いシャッターを設計目標としました。軽いボディーと軽いシャッターがやはり安定した結果が出ております。レリーズ部分もこのために作動を軽くする精度を、非常に確保しました。」
 「華やかな性能を持つことに競走の激しい今日、それ自体地味な普及型カメラを発売することは、安定した品質と、利用性の高いカメラを多くの人に愛用して戴きたいことと、本誌の主張に見られた故障の無いカメラ、即ち価格と品質のバランスのとれた企画の第一歩で、果して本機がそれにふさわしいかどうか、今後、使用者の声を率直にきき、発展を心掛けたいと思います。」
 レオタックスのたたずまいは、意図されたものであった。


各社流れ作業による生産を取り入れるようになり、大量生産時代に入っていった。これは同時に、価格競走の始まりでもあった。企業はたえまない技術開発と、新製品開発を行い、価格とシェアを維持しようとする。これについて行けない企業の将来は見えている。事実上、一種類のカメラしか作らなかったレオタックスは、1959年倒産する。しかし、レオタックスのカメラ造りに対する哲学は、今なお私を魅了する。大量生産、大量消費の世の中で私は今、レオタックスにしみじみと愛着を感じているのである。