根木内城 (ねぎうちじょう) |
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お城と言われてイメージするものは立派な天守閣や石垣、念には念を入れた二重三重のお堀ではないでしょうか、白鷺城や時代劇に出てくる大阪城などのイメージです。 しかしこうした城構えは織田信長の安土城以降のことでそれ以前の城は堀や土塁をめぐらせただけのものでした。 乱暴に言えば戦国時代までの城は機能一点張りなわけで天守に長谷川等伯の屏風絵が鎮座するなどは大阪城の時代を待たねばなりません。 考えてみれば秀吉の小田原攻めの一夜城など本当だとしても我々のイメージする城郭ではなかったはずなのです。 NHKの街道てくてく歩き旅に触発されたわけではありませんが健康散歩も区内の見所は制覇してしまい旧水戸街道の千葉県側に進出しています。 松戸と柏の境に根木内城がありました典型的な中世の城で土塁や堀が今も残されています休日は市民のザリガニ釣りでにぎわう憩いの場所でおまけに戦国ロマンを満喫できます。 寛正3年(1462年)高城胤忠の築城とされるが(『高城家文書』『日本城郭大系』)、永正5年(1508年)高城胤吉の築城とする伝承もある(『小金城主高城家之由来』、ただし、同書の記述の前後関係から大永5年(1525年)の誤記とする説もある)。栗ケ沢城に代わる高城氏の拠点として機能し、天文6年(1537年)小金城を築いて移るまで、同氏の本拠であった。 所 在 地:松戸市根木内 築城年代:寛正3年(1462) 築 城 者:高城胤忠 区 分:平山城 遺 構:郭・土塁・空堀 以上 ウィキペデア お堀跡は現在 ザリガニの漁場として子供たちの遊び場になっている 天然の起伏の様だが土塁 空堀の遺構である 土塁と見張り台(見張り台は復元したもの) 空堀は5メートル近くあり容易には登れない 2010−8−3 |
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