昭和レトロ 南禅寺の湯豆腐

昭和レトロといえば京都、もちろんもっと古い街並みが有名ですが戦災を免れた京都は昭和レトロの宝庫です!!!とは新しい視点でしょ。
さて京都に来たら湯豆腐を食さずに帰るわけにはまいりません、そこで南禅寺参りと洒落込みます。
仁王門通りをお堀沿いに歩けばすっかり夕暮れでスローシャッターの手ぶれも旅情のうち、湯豆腐で有名な順正に着く頃にはすっかり暗くなりました。

仁王門

南禅寺前入口の岡部酒店








南禅寺順正のゆどうふは京都の上質の地下水で育まれてきた逸品です、最高の贅沢をどうぞ。国の登録有形文化財の順正書院。美しい庭園は夜間ライトアップされ、名物のゆどうふや引き揚げゆば、会席料理を堪能していただけます。
順正ホームページのご案内

南禅寺の歴史

南禅寺は今から710年あまり昔の正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創されました。亀山法皇は建長元年(1249年)、後嵯峨上皇の皇子として誕生され、10歳にして皇位に就かれました(第90代亀山天皇)。しかしご在位の頃より東アジアの情勢が緊迫し、上皇になられてからは蒙古来襲という国難に立ち向かわれました。この頃、上皇は父である後嵯峨天皇が帰依されていた圓爾辧圓(えんにべんねん)禅師(無関禅師の師・聖一国師)に受戒・問法し、不動の心を持って危機に対処されたのでした。国難去った正応2年(1289年)、上皇は離宮禅林寺殿で落飾(出家)され、法皇になられました。諱(法名)を金剛眼と申されます。「文応皇帝外紀」によれば、まもなく離宮に妖怪な事が起こりましたが、無関禅師は雲衲(修行僧)と共に離宮に留まり、坐禅・掃除・勤行と、禅堂そのままの生活を送られただけで妖怪な事は終息してしまいました。法皇は禅師の徳をたたえて深く帰依され、正応4年離宮を禅寺とされました。(南禅寺HPより)

                               2010−2−9