ナノテクノロジー
 企業収益の源泉となるようなコア技術が、大きく変化しつつある兆候があちらこちらに現れている。例えば2002年6月17日の日経産業新聞に次の様な記事があった。
”台湾からの報道によると台湾の科学委員会は、台湾のナノテク産業の産業規模が6年後の2008年に、半導体関連を除いて3千億台湾ドル(約1兆1千億円)になるとの見通しをまとめた。その後2012年には1兆台湾ドルの大台に達するという。ナノテク産業に関連する企業の数はそれぞれ800社、1500社となる。独自製品の開発に力点を置くことで、12年時点ではナノテク製品の6割が台湾の知的財産権によるものになると見ている。同委員会や公設の研究開発機関である工業技術研究院などを中心に、03−08年の間に11億台湾ドルの研究資金を投じる計画。台湾では科学委員会などが中心となって、公的なナノテク推進プロジェクトが検討されているが、それによると「学術研究テーマの先端化」と「ナノテクの産業化」を二つの目標として掲げ、研究成果の産業への移転での優位性を発揮するなどとしている”
 以上台湾が国をあげてナノテクノロジーに取組む姿が紹介された。ナノテク開発は今や先進国においてブームと言ってよい程の加熱ぶりである。中国の様な発展途上国でも似た様な対応をしているし、米国はナノテクに関して「日本に絶対遅れをとるな」と大統領声明まで出す始末である。したがって台湾がナノテク製品の知的財産権を6割取得すると言うシナリオはそうやすやすとは受け入れられない。
 しかしこれ程の意気込みで、ナノテクに取組んでいるのは本当だ。日本もうかうかしてはいられない。戦後から1980年代までの物造りはメカトロニクス(機械技術と電子技術を相互援助的に融合させたもの。)にたけた国が勝者となったと思う。我国(日本)を見て頂ければ誰にでも解る事だ。クオーツ時計、VTR、電子化された車、AFカメラ、NC工作機械、産業用ロボット、どれもメカトロニクスの固り、世界中でバカ売れしたMade in Japanである。
 21世紀人類が夢見る技術は明らかに変わってきた。環境、バイオ(医療)、次世代エネルギー、ナノテク、ソフトウエアー、ネットワーク、どれも今までは無かった分野、どれもこれからだ。メカトロニクスを今さらやったところで絶対に既存の技術大国を超えられない。肉薄したとしても、超える事など出来る訳がない。地球上にそんなに大きな市場はないのである。韓国や中国が日本のメーカーを手本として家電や車の生産に力を入れているが、これは本質的な脅威ではないのである。しかし次世代技術なら話は別だ。どの国にも勝つチャンスがある。頭の悪い政治家や中小企業経営者は「もの造りこそ日本の生命線だ」みたいな事を言う。既存の製造業復活を声高にうたう。もちろん大切な事だと思う。
 しかしその大切さも私に言わせれば雇用問題に関してだけである。本当に大切なのはイノベーションなのだ。今、産学連携が見直されつつある。今さらながら、この大切さが理解されている様だ。ベンチャービジネスコースを設けた社会人対象の大学院の成果が期待されている。素晴らしい事だと思う。
 ベンチャービジネスが話題になるのは最近の事ではない。私が学生であった1980年前後にも今以上のブームがあった。当時はマイコンからパソコンへの過渡期でこの分野のベンチャー企業が相次いだのである。今日、隆盛極めるマイクロソフトやSUN、ネットスケープなどこの時代の生き残りである。我国でも、ジャストシステムや、ゲームソフトメーカーの大半がこの時代生まれである。ニンテンドーもこの時代、大きくなった。また、大手の企業内ベンチャーも忘れてはならないだろう。NTTドコモなどその筆頭である。
 一方消えていったメーカーも数多く思い出させる。ソード・JBC・コスモエイティーなどなど。管理工学を専攻した私は多くの友人が以上のメーカに就職したのを思い出す。金持ちになった者、落ちぶれた者、様々である。個人の能力もさる事ながら、人生は運も必用なのだとつくづく思う。日本で最も多くのベンチャー企業が誕生したのは、幕末から明治にかけてである。今日、名だたる大企業のほとんどはこの時期生まれている。次いで、おそらく戦後だろう。ソニーやホンダなどがその代表である。いずれも動乱の時代であった。いや新体制の直後であったと言った方がよい。
 小泉さん、”行政改革”絶対必要なんですよ。日本がおかしくなってしまう位、既存の価値をバラバラに分解する事が必要なんです。そうなれば必ずベンチャーが勃興する事は、歴史が証明しています。