無検査
 私は、最近、東海大学教授 唐津一著の『ものづくりは国家なり』を読んで、仰天してしまった。
 私は、学生時代、管理工学を専攻していて、日本の製造業における品質管理のすばらしさや、トヨタのカンバン方式などに見られる、リアルタイムな在庫の管理手法などのすばらしさを、耳にタコが出来る位、たたき込まれた思いがある。これらのキモは、一に検査、二に管理(広い意味での)である。ところが、この検査工程を、今の生産現場では、極力排除する方向にあるのだと言う。
(ところで私は、日本大学 生産工学部 管理学科の卒業です。全国の日大人の皆さん今後とも宜しく。)
以下、唐津教授の原文をそのまま紹介する。

日本の製造業は、“無検査”を目指す
 IT革命の意味は、既存のビジネスにITを導入することによって競争力を増し、創造性のある産業を生み出すことだ。そのために人間とシステムの間に横たわる誤差を認識し、情報の本質を見極め、そこに携わるメンバーが共有できることを目指す。
私はすべての企業にドットコム企業になれとは言わない。むしろインクスのように、日本のお家芸であるものづくり産業にITを導入することによって、日本の製造業はより競争力を増す。事実、IT産業の成長の中で、日本の製造業がその成長をストップさせたわけでは決してない。
 むしろその逆でIT産業の新しい世界を開拓しているのだ。世界中でIT産業が成長すればするほど、世界が日本のものづくり産業を必要とする度合いが高まってきている。日本のものづくりは、根本的に品質を追求する姿勢が他の国と違うのだ。
 たとえば、以前に私は中国のガス器具の工場を訪れたことがある。その工場で私を案内した担当者は、自慢げに話した。「うちの製品は非常に優秀です。ご覧なさい。検査をちゃんとやっています。厳重にやっています」と言うのである。
 たしかにガス器具の場合は一切不良が許されない。ガスが漏れたり水が漏れたら大変である。そこで出来あがった品物を厳重に検査しているわけだが、この工場では同じ検査を二度行っていた。つまり、二度検査を行うことで、その厳重性をアピールしているわけである。さらにおもしろかったのは、従業員が検査を厳重に行っているかどうかをチェックする監督がラインの後ろに配備されていたことだった。
 こうしたことは、日本では考えられない。日本の製造業の考え方は、無検査なのでである。大量生産においては、一日あたり何万何千という製品がラインから輩出される。ラインが信用できず、それを全部検査しなければ安心できないという状況であれば、検査の手間がかかり、コストが上がることになる。日本の工場は、ほとんど商品の検査をしないで出荷している。それは安心だからである。
 生産への信頼性を高めるために、どうすれば検査をしなくてもよいラインができるかを一生懸命に考えているのが日本の製造業なのだ。むしろ何度も検査をしなければならないラインは信用できないわけだ。何か工場でトラブルが起こると、世間では「検査が不足している」という表現をするが、検査を厳重にやらなければダメな工場は、工場として不適格である。
 いま、携帯電話で日本のトップレベルの工場では、工程のほとんどを自動化している。そのラインの一番最後に女性が二人いるだけである。この女性二人は、製造された携帯電話が汚れているかどうかだけを見ている。これが日本の製造業の徹底した理想の姿である。ものづくりの理想は不良ゼロ、検査ゼロである。
 もちろん、そこまでラインの能力を高めるのは簡単な作業ではない。実際に製品を試作し、ラインに流してみる。するとさまざまな問題が発生するので、それを一つずつしらみ潰しに潰していく。無検査の工場が現実に実現できるのは、そうした努力を日本の製造業が実行しているからだ。日本のラインから生まれた製品が世界の一流品として通用するのは、まさにこうした理由による。
 日本の自動車産業も家電製品も、すべてこうした方向のもとで、一生懸命になって努力をし、無検査が実現できている。これだけの優れた品質を持つ製品は、日本のものづくり産業が培ってきた賜物である。