益子の窯元 山水の店 みなかわ


                     右 皆川ヒロさん





益子焼の歴史は江戸末期の嘉永年間に(1848〜54)に始まる。笠間の近くで生まれた大塚啓三郎が笠間の久野窯で技法を学びやがて益子で窯を開いた。
江戸に向けた甕や擂鉢を生産した民窯である。これらの雑器製品が益子で盛んに焼かれたのは昭和30年代までで現在は信楽や瀬戸と言った他県の大産地から運んでいる。
益子と言えば民芸運動の濱田庄司で有名だがそれ以前に山水土瓶を絵付けしていた皆川マスの作品が注目されている。
民窯ならではのおおらかさと70年近くも同じ絵を描き続けた熟練の技が人々を魅了する、現在はマスさんのお孫さんが業を受け継ぎ昔と変わらぬ素朴な作品を見る事が出来る。

      皆川マスが絵付けした山水花瓶

昭和22年 昭和天皇御訪問の時に実演絵付けした水差、昭和天皇の「毎日 絵を描いて楽しいですか」のご質問に
マスは「ちっとも楽しくなんかねぇ」と栃木弁で答え周囲を驚かせた。 

 皆川マス作 窯変山水大皿


                    益子共販センタ−

昭和40年代の山水茶碗 共販センタ−で売られていた皆川マス写し。
益子焼隆盛の時期に近く現在の物より筆に勢いがある。